「働く」を捉え直す勇気。

人間は、生きるために働きます。

 

食べたり寝たりするために、働きます。

 

そして、働くために生きているのでは決してありません。

 

ましてや、「会社」などという見えないもののために魂を削る必要などありません。

 

私たち人間は、間違った思考で生きようとすると、他人を蹴落として感じる「人生」を歩むことになってしまいます。

 

なぜ、歯を食いしばって、その仕事を続ける人が存在しているのでしょうか。

 

歯を食いしばるという行為は、ほとんどの場合「誤作動」です。

 

歯を食いしばっても、良いことは一つもありません。

 

なぜなら、人間は、自分が現在辛い状況にあることを正当化するために、「みんな辛い思いをしているんだ」とか、「我慢してこそ、つかめる幸せがあるんだ」とか思うに至るからです。

 

石の上に三年も本当にいたら、死にます。

 

そうでなくても、心が病気になるでしょう。

 

仕事をやめるというのは、「働くことをやめる」ことではありません。

 

あくまで、圧倒的にあなたに合わない職場から合理的に去るということなのです。

 

 

簡便なLINEと距離を置こう。

突然ですが、あなたは1日にどのくらいLINEをしていますか?

 

LINEはアプリ名であるにもかかわらず、電話やメールと同じく「LINEする」という言葉になり、定着しています。

 

ミニマルな日常生活の中では、LINEの「よくわからないグループのよくわからないグループトーク」がその大半を占めることがあります。

 

しかし、どこどこのラーメンがおいしいとか、急遽飲み会やりますとか、自分が仕事に集中したいときかつスマホの電源は仕事上入れておかなければいけないときには迷惑以外の何物でもありません。

 

そこで、せっかくなので、一つ提案です。

 

LINEのアプリ、消してみませんか?

 

「それだと、友達からの連絡がわからない!」

 

このように言われそうですが、そんなことはありません。

 

もし本当に重要な連絡があるならば、何かしらの手段によって必ず連絡してくれます。

 

例えば、共通の友人を介してメッセージを送ることができますし、本人の家に行くことも可能です。

 

なんなら、そのために、親友にはLINEのIDとは別に電話番号を教えておけばよいかもしれません。

 

ここで「面倒くさくないですか?」と言われそうですが、本当に話したいことがあれば、簡便さを超越することを言いたいのです

 

また、いかに「電話番号まで教えたい友人が少ないから」に気づいたりもします。

 

親友以外をブロックするのはさすがに極端なので電話番号方法でいきましょう。

 

 

昼は、牛丼をかきこもう。

言葉には「語感」なるものが付随しています。

 

例えば、「オヒルゴハン」のことを「お昼」「昼飯」「昼」「ランチ」などと言い換えることがありますが、意味は全て「昼に食事をすること」を指します。

 

しかし、「昼飯」と言う場合と、「ランチ」と言う場合では、ニュアンスが全く異なります。

 

「ランチ」と言う場合は、ご飯を食べることそのものが目的というよりも、「食事の場でおしゃべりをする」という意味合いが強調されます。不思議なことに、「お昼」という場合も、ランチ的なニュアンスともちます(皆さんはいかがでしょうか)。

 

一方、「昼飯」や「昼」という言葉を使って「オヒルゴハン」を表現する場合は、

 

闘いの合間の栄養補給

 

という意味を持ちます。

 

日中働き詰めの職人や大工たちが「ランチしよう」なんて言いません。

 

そして、この「昼飯」という言葉にぴったりなのが「牛丼」です。

 

しかも、牛丼には「かきこむ」という言葉がぴったりです。

 

牛丼をかきこむという食事行為は、「午後もやってやるぜぇ・・・!」という強い志を持たせてくれます。

 

そして、牛丼屋に足を運ぶ人々のほとんどは、「闘っている」のです。

 

仕事に真摯に向き合い、己の限界に挑んでいます。

 

だから、「本気で闘いに行くぞ」という一日には、牛丼をかきこもう。

 

野菜サラダなんて、食べなくていいから。

 

 

効果的な復習方法とは?

勉強は、基本的には「予習」「授業」「復習」に分かれます。

 

(今回の記事では、授業そのものについての本質的な議論ではなく、既存の学習システムの中に収まる話をしていきます) 

 

ここで、「授業」自体は今、アクティブラーニング化が進んでいますが、「予習」「復習」はどうでしょうか?

 

「予習」「復習」は、定義上自主性を伴う必要があります。

 

たとえば予習を辞書で調べてみると、「未だ教えられていない箇所・分野・部分を、前もって勉強すること」のような意味が出てきます。

 

「未だ教えられていない」わけですから、自分で勉強しなければ理解はできません。

 

また、復習を辞書で調べると、「一度習った箇所・分野・部分を繰り返して勉強すること」とあります。

 

「一度習った」わけですから、わからなければ勉強しますし、わかっていれば勉強する必要がありません。

 

そこで、効率的に復習するために必要なのは何かと考えました。

 

それは、「いつでもどこでもできること」と、「タイムプレッシャー」です。

 

以下のYouTubeは、私が作成しました。一度ご覧ください(もしよろしかったら、是非チャンネル登録もよろしくお願いします)。

 

https://www.youtube.com/watch?v=AD1uFPs4lAI&t=55s

 

この「倫理列伝」では、基本的な高等学校のカリキュラムでは週に一回程度しか行われない「倫理」の授業について、いつでもどこでも復習ができるようになっています。

 

また、「タイムプレッシャー」があることによって、ゲーム感覚で復習をすることができます。

 

「タイムプレッシャー」とは、自主的に設定する受動性です。

 

例えば30分しか勉強しないことを決めてキッチンタイマーで30分を測りながら勉強した場合、30分が経過したら「何がなんでもやめる」という受動性を自らに課すのです。

 

もし、これをご覧になっているのが高校生、あるいは高校生のお子様を持つご家庭なら、一度「倫理」(政治経済もあります)の授業の復習にこちらの動画を試してもらいたいと思います。

 

 

お願い事はどんどん断ろう。

突然ですが、日本人は「お願い事を断らなすぎ」です。

 

例えば、大事な仕事をしているときに「ちょっとこれお願いできる?」と唐突に聞かれることがたまにあります。あなたはどうしますか。

 

時間が有限であることを自覚している人間は、ここで、「自分の時間が30秒ほどとられる・・・!」と考えます。セコいように聞こえますが、立派な状況判断だといえます。

 

もし、このような状況で中途半端に受けてしまうと誰が不幸か。

 

頼んだ相手が、「頼まなきゃよかった」となります。

 

ここで、知っておくとラクになることがあります。それは、

 

あなたは、かけがえのある存在だということです。少なくとも、社会の中では。

 

あなたが何らかの理由でお願い事を断った時、そのお願い事は消えません。別の人の元へ行くだけです。そして、別の人が断ったら、さらに別の人の元へ移動します。やがて、そのお願い事を引き受けた人のところで止まるのです。

 

観光地で写真をお願いされて引き受けなければ、その人は別の人に頼みます。それでも無理そうなら、工夫して自撮りします。それだけなのです。

 

もしあなたが今10のお願い事を一挙に引き受けているのだとしたら、そのうちの5は「あなたじゃなくてもできるもの」です。

 

大事なのは、「私が断ると、別の人に負担が・・・」気にするのをやめることです。

 

まずはあなたが働きやすい環境を自分で作り出していくことが大事です。

 

まずはあなたが余計な負担を取り除くことによって、あなた自身に心の余裕ができます。仕事の質も上がります。

 

そうしたら、お願い事を喜んで引き受けてもよい状態に自然となってくるのです。

 

 

捨てすぎない勇気。

私たちが部屋を「ミニマル」にするとき、よく聞くのが

 

「いるものいらないものボックス」です。

 

段ボールに「いる」「いらない」シールを貼るところから始まり、結局「いる」ボックスがパンパンになって終わります。

 

でもよく考えれば、いきなり他の人の部屋のモノをたくさんもらっていない限り、

 

最初はすべて「いるから買った」のです。

 

「いらないのに買った」ものは、セール品や割引品などが当てはまるかと思いますが、それらはカンタンに「いらない」ボックスに送ることができます。

 

さて、そんな中、改めてクローゼットを眺めたとき、なにが「いるいらない」を分けるのか。

 

それは、「他の人が勝手に持って行ったら、どのくらいムカつくか」です。

 

よく、先輩の家に行ったら「そこにある服持ってっていいよ」なんて言われることがあるようですね。

 

そういうのをもらっても、長く着ることってめったにありません。

 

これは本当に面白い現象です。

 

一方、先輩が大切にしているモノを、「本当はイヤだけど、お前にだったら託せる」と言われたらどうでしょう。

 

そのまま服リサイクルショップになんて絶対に行かないですよね。

 

ここでポイントなのは、「いつの間にか、捨てることが目的になっていないだろうか?」ということ。

 

本当に好きなもので溢れているのなら、部屋がスッキリしていなくてもいいのです。

 

たとえ、誰かが家に来て「散らかってるね」と言われても気にすることはありません。

 

なぜなら、そこ(ここ)は、あなたの部屋だからです。

 

側から見て「汚部屋」でも、本人がそう思わなければいい。

 

そして、このように考えた結果として、「いや、そうでもないのがいくつかあるな」と思うに至る。

 

ここからが、本当のスタートです。

 

 

ミニマリストは皆、バリアーを持っている。

※ここでの「バリアー」は、障害という意味ではありません。

 

人間関係を上手くコントロールしている「対人関係的ミニマリスト」は、実は「対人関係から受けるストレスが人一倍大きい」という特徴を持っています。

 

ここで、「対人関係的ミニマリスト」は意識的にあるものを身に纏っているのですが、それは一体何でしょうか?

 

答えは、「境界線」です。

 

「自分は自分、他人は他人」と考えることができれば、いっさいの人間関係の悩みから解放されます。

 

昔、鬼ごっこのときに、謎の「バリアー」という技がありました。

 

「バリアー」を使っている間は、鬼はタッチすることはできないという法律すれすれの最強技です。

 

 

さて、人間関係の前提として、人の意見や育った環境は全く異なります。

 

たとえば、飲み会に参加したあなたがレモンサワー大好き人間だとします。

 

さて、飲み会が始まる前に店員さんが「お飲み物はどうしましょうか?」と聞きます。

 

ある人が何の気なしに、「えーっと、とりあえず・・・」と言います。

 

とりあえず生という地獄が始まります。

 

ここで「バリアー」を張るというのは、「周りの人が生ビールを注文することと、自分がそれに同調しなければならないなんてことは全くの別物」と考えるということです。

 

 

対人関係的ミニマリストは、無意識のうちに同調したり、それによって疲弊したりした経験をもっているので、あえて声高らかに「いや自分はレモンサワー頼みます」と言います。

 

すると、周りで実は別の飲み物を注文したかった人たちはこぞって「じゃあ俺はウーロンハイ」と言えるのです。

 

これが、「バリアーのお裾分け」です。

 

今は「アルハラ」なんて言葉もあるので、同調したくない、ついつい合わせちゃう、なんて人にとっては嬉しい時代になってきました。

 

常に心に厚めのバリアーを張っておきましょう。