防御・レス・ミニマル

部活動などで、よく「攻撃は最大の防御」だと言われます。

 

要は、「守るのが先決になってはいけない」ということです。

 

変な虫が出た時に、ひたすらスリッパを盾にしてとどまっていてもしょうがないということです。

 

これは、人生全体についても言えることだと思います。

 

防御するということは、「攻撃してくる相手を受け入れてしまっている」ということです。

 

奇跡的に、相手が「攻撃をやめよう」と思うことを待っていても意味がないのです。

 

一週間のうち、あなたは何度、アグレッシブに行動していますか?

 

防御は、人生でいえば誰かの心臓の動きにビクビクし、発言に感情を動かされることをいいます。

 

攻撃とは、いいとこ取りです。

 

階段を上るためには、防御というマインドセットを解除する必要があります。

 

目を覚ましましょう。

 

安い人間にならないためには、少なくともファイティングポーズを取り続けることが大切です。

 

 

クイズ目線・レス・ミニマル

※これは、教育界の革命になるでしょう。

 

クイズ番組で、これ見よがしに難しそうな単語をピンポンと答える芸能人を見ると、私たちはそれがヤラセかどうかを考える前に、感動する傾向にあります。

 

なぜなら、「番組」の構造を分析する前に、そもそも自分たちが回答者として参加しているからです。

 

さて、ここで「クイズ番組回答者」がどのようなことを考えていて、それがいかに本質とはかけ離れているかを簡単に述べていきます。

 

例えば、間違い探しを動画版で出題するケース。

 

あなたは、間違いを探します。当然ですね。

 

間違い探しとは、「どこに間違いがあるのかわからない」から面白いです。

 

しかし、クイズ番組回答者は、

 

「どうせ後半にしか高得点が潜んでないのだから、前半はテキトーに誰かに取らせるか。」

 

と決め打ちしながらVTRを見ている可能性が非常に高いといえます。

 

もちろん、テレビ番組はスポンサーさんのためにあるので(×視聴者のため)、後半に300点分の間違いを置いておかないとCMまでひっぱれません。

 

「いきなり出てきたサルが持っているバナナが1本じゃなくて2本でした!はい最高点!」とはならない。

 

しかし、自然界にまだ解明されていないたくさんのものがあるとき、「道の前半には絶対にないな。」なんて探し方をする人間はいません。

 

最初から最後までくまなく探して、見つからずに肩を落として下を向いていたら、先ほどまでの観察眼が残っていて、帰り道に見つかる。これが勉強です。

 

 

専用。これ大事。

カツ丼を食す時は、スーツだと利き手の可動域が狭いので、Tシャツに着替える。

 

なんだかよくわかりませんし、文字に表すのは難しいですが、「おちゃらけた絵が描かれている」Tシャツが一番カツ丼に似合っているような気がします。

 

「専用」とは、その日一日を最も有益なものにするために不可欠なものです。

 

クリスマスといえばチキンを食べるというのは、この「専用」とは全く逆方向の行為です。

 

晴れの日専用のランニングシューズと、雨の日専用のそれがあると、その人はランニングを楽しめているといえます。

 

これは、「ミニマム」な生活ではできないことです。「ミニマル」のなせる技です。

 

同じ雨でも、強風を伴う時には「機能性重視」の傘を、小雨だけど服を濡らしたくない時には「濡れると色が変わるオシャレな」傘を差すということです。

 

機能性重視の傘は、デートの時に不意に雨が降っても正直「使えません」。

 

台風直撃の時には、「わぁ色が変わって花柄が見えてきた」なんて言ってる場合じゃない。

 

食すというテンションでは「アンパン」、なんだかゆるっとおやつって時には「あんぱん」という表記がおススメですね。

 

どんなにスマホのカメラ機能が進化しても、子供の運動会専用、鳥を撮る専用の一眼レフがある人は幸せです。

 

 

バランスを取らない生き方

経験値や成功は、基本的に年齢とともに増えていきます。

 

しかし、経験値がない若い状態からそのことを想定するのは結構難しいです。

 

「本当に自分は成功するのだろうか?」

 

ここで、私が言っておきたいのは、「成功するかどうかを気にする前に、別のことを気にしているから、それが障害になっていないか」ということです。

 

なんか、バランス取ろうとしてません?

 

世間の声と、自分のやりたいこととのバランス。

 

年収と、やりがいのバランス。

 

ホメオスタシスが人間にそなわっているように、もしかしたら社会的にも人間は均衡を保ちたいのかもしれません。

 

生物学的についついやっちゃっているのであれば、一つ質問をクリアしましょう。

 

いま、あなたは平均台の上にでも乗っているのですか?

 

もし、あなたがシンプルに綱渡りをしているのであれば、今すぐバランスを取りなさいと言うでしょう。

 

だって、山の頂上と頂上を結ぶ一本の線の上に渡り歩いているのですから。

 

バランスを取らなかったら死にます。

 

しかし、今のあなたの人生は、綱渡りの最中なのでしょうか?

 

仮にそうだったとしても、綱渡りから落ちたらクッションがあるような、キッズの遊び場みたいなものではないでしょうか?

 

一番怖いのは、本当は落ちても全然ダメージがないのに、ダメージがあると勘違いしていることです。

 

落ちても堕ちても大丈夫。

 

見上げるという次のステップが待っている。

 

 

どんどん言おう、悪口を。

どんどん言おうよ、悪口を。

 

仲間を蹴散らすことができないのなら、影で酒でも飲みながら言おうよ。

 

言われたことをストーリー化して、100倍にでも盛って、ぬるま湯の中で語り合おうよ。

 

どうですか?胸くそ悪くなりませんか?

 

もし、最初の3つの文章を読んで、「あっ、この記事読むのやめよう・・・」と思ったら、あなたはまだまだ正常です。

 

では、ここで一つ質問です。

 

なぜ、胸くそ悪くなるような悪口を、今まで垂れ流していたんですか?

 

ひとは、悪口を言っている間はおそらく「幸せホルモン」が出ている。

 

否、「ニセ幸せ依存ホルモン」が、出ている。

 

居酒屋であなたが友人に悪口を届けているとき、友人はあなたの発言をiPhoneで録音し、いざという時に切り札として取って(撮って)おいているかもしれません。

 

なぜそんなことをするの?

 

一番胸くそ悪くなっているのが、悪口を聞いている友人だからです。

 

ちなみに、悪口を聞いていても胸くそ悪くならない方法は二つあります。

 

一つは、同じくらい、あるいは相手を超える勢いで悪口を言い返すこと。

 

なんの成長もありません。

 

もう一つは、その場を去ること。

 

その場を去る習慣を身につけていると、悪口アンテナが発達(あるいは復活)します。

 

このアンテナの発達・復活の一番のメリットは、

 

自分が悪口を言いそうになったときにアンテナがSOSを出すということです。

 

「どんどん言おう、悪口を」という言葉を聞いて、嫌に感じる自分でいてください。

 

 

結婚を焦れ!

※これは、「結婚を焦るな」というメッセージです。

 

エネルギッシュになることは良いことです。

 

よって、20代前半から幸せな家庭を築きたければダッシュすべきです。

 

一人で休日にリフレッシュしている場合ではありません。

 

どんどん周りの人と比べて、落ち度を見つけて、時には壁にクラッシュしてもよいでしょう。

 

婚姻届を出すことが目的ならば。

 

先ほどまで書かれた直接的なメッセージは、全て結婚を焦らせるものになっていません。言うまでもありません。

 

しかし、なぜこのようなメッセージを見聞きして、自ら焦ってしまうのか。その答えは簡単です。

 

日頃から、中途半端に「結婚なんて焦らなくていいよ」というぬるま湯ワードに甘んじていたから。

 

無理して結婚して即座に離婚した芸能人を数えたり、「結婚は墓場だ」と嘆くサラリーマンを探したりすることで、自ら課題から目を背けているのです。

 

本当に結婚したいのかどうか、それは別に相手がいない時点からでもよいので、一度向き合ってみましょう。

 

ぬるま湯ワードは痛みを伴わないが、成長もない。

 

 

本気でやり、愚痴言いまくれ。

愚痴はどんどん言いまくれ。

 

本気でやれ。

 

普通なら、「愚痴は言うな」「ため息をつくと幸せが逃げる」などと言われ、ネガティブな行為は全て悪のように祭り上げられる。

 

しかし、よく考えよ。

 

今までの過去があなたを苦しめているのだから、「いったん愚痴を吐きまくる」行為がなければ、あなた自身が否定されていることになる。

 

つまり、「愚痴を言うことそのもの」が問題なのではなく、「今まで愚痴を言わなければ生きていけなかった環境にいたこと」が問題なのである。

 

よって、愚痴を言っている時点でもうその環境はあなたに合っていないのだ。

 

愚痴を抑圧することで、その環境にい続けるリスクに自ら目を背けているのだ。

 

ちなみに、愚痴は自分から言わなくても良い。

 

あなたの職場での、周りの人の会話。何割が愚痴になっているだろうか?

 

その愚痴から、若干ではあるが改革のヒントが見つかるだろう。

 

勝負を本気でやった結果としての愚痴なら、仲間はきっと聞いてくれる。