黒毛和牛ミニマル

あなたは、「黒毛和牛」と聞いて何をイメージしますか?

 

毛並み?顔?いえ、きっと多くの人は、

 

おいしそう。

 

というイメージを持つと思います。

 

プラシーボ効果のようなものかもしれませんが、「黒毛和牛」と聞くだけで、なんだか高級な食べ物のように感じるのです。

 

たとえその牛が真っ白で、黒い毛が一本だけ生えていても、黒毛は黒毛です。

 

(ほとんど使わない字なので、黒毛和牛に対してもうゲシュタルト崩壊しています•••)

 

普通に「〇〇バーガー」と言うよりも、「黒毛和牛バーガー」の方がステキに聞こえるのはなぜなのでしょうか?

 

その答えの一つは、「人間はイメージを食べているから」だと思います。

 

何も言わないよりも、「A1ランクです!」と言った方が、「あれ?僕が知らないだけで、美味しいランクなるものがあるらしいな」と、勝手に消費者が想像してくれるのです。

 

 

生まれてきたことが失敗

これは、最近僕自身がメインで考えているテーマです。

 

多くの人は、仕事や恋愛などで、「失敗したらどうしよう」と不安になったことがあるでしょう。

 

もちろん、プレッシャーを一定程度感じることは、むしろパフォーマンスを高めることにつながりますので、「不安」も悪いところだらけというわけではありません。

 

プレッシャーを感じなさすぎることが問題視されることさえあります。

 

しかし、失敗についてとことんまで考えてみたところ、真実のようなものが見えてきました。

 

なぜ失敗を怖がるのかということについて、原因をミニマルになるまで落としてみたところ、

 

こういうことを考えてしまいがちな人間として生まれた時点で、もう大失敗なんじゃないかと、はたと気づいたのです。

 

だれかを指差して「貴様が生まれてきたのは失敗だ」と叫んだら、それはただの「言葉の暴力」ですが、これは自分自身が自分を客観的に捉えるトレーニングです。

 

生まれてきたこと自体が失敗なのであれば、生きている時点で何をしても、結果は覆りません。

 

こう考えると、一つの質問に行き着きます。

 

はたして、失敗とは、悪なのでしょうか?

 

失敗イコール悪ならば、人間が生まれてきた自体も悪になります。

 

しかし、そんなことはありません。

 

大事なことは、今自分自身がいるステージが失敗だからといって、向こう側のステージが成功だとは限らないということです。

 

 

シンプル=ミニマル?

僕がミニマルを目指す上でよく考えるのが、

 

部屋がシンプルなら、みんなミニマルなのか?

 

ということです。

 

もしこれが真なのであれば、引っ越ししたての何もない部屋、もっと言えば「空き部屋」が最高の形ということになります。

 

しかし、それらの部屋は、単に殺風景なだけであって、ミニマルとはほぼ遠いように思います。

 

私たちは、きれいに整頓された、洗練された部屋には魅力を感じますが、同時に生活感も味わいたいのです。

 

モデルルーム展示場では、そのスタートラインを見ることができます。あとは、住人次第というわけです。

 

一方、だからといって、モノがたくさんあるけれど綺麗な部屋というのがミニマルというのも違うような気がします。

 

あくまで、ベースはモノが少ないことにありそうです。

 

 

カーテンを2つ持つという選択

私たちの生活は、視覚によって影響を受けることが少なくありません。

 

そんな中、太陽の光を調節したり、部屋に彩りを与えたりするのがカーテンです。

 

あなたの部屋のカーテンの色(さらには材質)が、あなたの心を表しています。

 

ところで、私たちは服や靴を沢山買うのにもかかわらず、なぜカーテンは一つ買ったらそれで満足なのでしょうか?

 

もちろん、いちいち付け替えるのが面倒くさいということもあるでしょうが、まるで壁を評価するかのように、「変わり得ないもの」と判断しているのかもしれません。

 

そこで、僕が実践していきたいのが、「カーテンを選ぶ」ということです。

 

明るいカーテンだけに絞っても、ナチュラルなものから、あえて原色にこだわってみたりと、選択はさまざまです。

 

さらに、カーテンほど、「面積に比べて体積の小さい」家具はありません。収納スペースをそれほどとらないのです。

 

そして、カーテンを洗濯するタイミングでチェンジすれば、カーテンがないという状態を回避することもできます。

 

時間に余裕があったら、普段行かないカーテンコーナーに行ってみてもいいかもしれませんね。

 

 

 

 

他人の目線を気にしてみニマル

ミニマルな人間関係を築きたい人が、なぜ、そういう人間関係を築きたいと思ったのか。そのきっかけは何なのでしょうか(自問自答も含めて)。

 

それはおそらく、最初は大勢でいることを望んでいたけれど、結局はその集団のひとりひとりのエゴが浮き彫りになったことに嫌気がさしたからだと思います。

 

はじめに、前提として、人の意見や育った環境は全く異なります。だからこそ、

 

地元が一緒なだけで嬉しくなるのです。

 

意見や育った環境が全く異なる人間同士が、なぜ集団でいることができるのでしょう?それは、

 

みんなが、「その場を壊さない」という暗黙のルールをしっかり守っているからです。

 

心理学では、このことを「多元的無知」と呼んでいます。つまり、

 

自分は望ましくないと思っているけれど、他の人はみんな望ましいと思っているから、自分も仕方なく従っていると、その場にいるみんなが思っているということです。

 

たとえば、飲み会に集まった人が全員カシオレ大好き人間だとします。カシオレ、美味しいですよね。

 

さてさて、飲み会が始まる前に店員さんが「お飲み物はどうしましょうか?」と聞きます。

 

ある人(←カシオレ好き)が、何の気なしに、「えーっと、とりあえず・・・」と言います。

 

とりあえず生という地獄の始まりです。

 

ここで、日本人の多くは、「ここで自分だけカシオレ飲むとか言ったら浮くよな」と勝手に思い込みます。

 

ちなみに、その人が「浮くよな」なんて思う前に、服装などで浮いていることさえあるのです。

 

あなた自身が気づいていないところで浮いていて、肝心の「あなたが気にしているところ」では浮いていないのです。

 

そう考えると、人の目線を気にするのって、案外馬鹿馬鹿しいのかもしれません。

 

 

かっこつけるのではなく

ミニマルを目指す人に対して、一部の人は「かっこつけている」と思っているかと思います。

 

モノが少ないことを見せつけようとしている、みたいな感じですね。

 

しかし、ミニマルを目指すのは、モノが少ないことを自慢するのではなく、モノが少ないことを誇りに思っているということになります。

 

自己完結型なのです。

 

自慢は、見ている「だれか」を想定していますが、誇りに思うことについては登場人物はたったのひとり、自分だけです。

 

例えば、本を無造作に置くのも、本棚にアイウエオ順で整頓するのも、自己完結です。

 

この世界に、未だ紹介されていない「面白い部屋」がいったい何億ほどあるでしょうか。

 

これらの、真の個性的な部屋なるものは、一度も披露されることなく、静かに亡くなり、なくなるのです。本当の個性は、誰にも見せずに風化するのです。

 

雑誌などに掲載されているものは、「作られたもの」です。もちろん全てとは言いませんが、良い評価を得られるようにウソが含まれがちです。

 

本当にかっこいい生活は、「かっこつけた帰結」ではなく、「かっこが後からついた形」なのだと僕は思います。

 

 

シェイク!ミニマル

例えば、あなたは「シェイク」を飲みますか?

 

シェイクって、いい響きですよね。僕だけかもしれませんが。笑

 

飲み物だけでなく、様々なフレーバーの粉をフライドポテトの袋に入れてシェイクするのは、食べる前から楽しいですよね。

 

私たちの生活にとって、「語感」はとても大切です。

 

文字的なシズル感で言うと、

 

サラダ

シーザーサラダ

半熟たまごのシーザーサラダ

店長おすすめの半熟たまごのシーザーサラダ

鈴木店長おすすめの半熟たまごのシーザーサラダ

 

のように進化していくのです。

 

圧倒的に、「炭酸水です」よりも「しゅわっとするやつ飲みませんか?」の方がそそられます。

 

今日、あなたがとった昼食も、その昼食に何という名前をつけるかによって、もしかしたら味さえも左右されるのです。

 

更なるポイントを言います。それは、

 

濁音や半濁音がついているかどうかです。

 

これらがつくことによって、たとえ意味がわからなくても、生活に彩りが出ます。

 

何かわからないけれど、「コーヒー」より「ドリップコーヒー」の方がいい感じに聞こえるのです。これは、全く同じものを提供しています。