失敗が一番カッコイイ

男なら誰しも、「カッコイイ」を一度は目指します。

 

自分では読めない英字が描かれたTシャツを着てみる。

 

髪を茶色に染めてみる。

 

お母さんのことを「おふくろ」と呼んでみる。

 

しかし、多くの人はこのことに気づいていません。

 

「カッコイイ」と、「カッコつける」は全く違うことを。

 

カッコつけている限り、「カッコイイ」と言われることは絶対にありません。

 

なぜなら、カッコイイとは生き方であり、インスタントに形成することはできないからです。

 

同じ白Tシャツを着ていても、努力を重ねてきた人と、そうでない人、このどちらが着るかによって見え方は全く異なります。

 

白が、輝いて見えます。

 

Tシャツが、着られていることを喜んでいるかのようです。

 

これは、一般的な「イケメンかどうか」とは違います。

 

イケメンでも、モテない人はたくさんいるのです。

 

「モテる」とは、これまた「生き方」なのです。

 

 

直感ねじ伏せ・レス・ミニマル

子どもは、バスに乗りたかったのに電車に乗せられた時、ギャン泣きします。

 

目的地が同じ「東京駅」だったとしても、バスから見る景色の方がお気に入りだったのです。

 

しかし、私たちはいつしかその感覚を忘れていきます。

 

景色や、乗り物特有の匂いとかよりも、乗り換えの利便性や混み具合の方が気になります。

 

昔からプラレールで遊んでいた過去があったとしても、便利ならばタクシーで移動するのです。

 

たしかに、乗り物は目的地に到着するために利用するので、便利さを優先させるのが「間違いだ」というわけではありません。

 

しかし、本当に便利さだけが大事なのでしょうか?

 

直感的に、「今日は真っ赤な丸ノ内線の気分だな」と思ったら、ブルーの総武快速ではなく、あえて東京メトロに乗ってみればよいのです。

 

地下への潜り方も、気分も、きっと変わることでしょう。

 

便利だ便利だ叫ぶ時、私たちは直感を忘れています。

 

問題は、直感が正しいかどうかを悩むことではありません。

 

私たちの問題は「直感」ではなく、「直感を信じきれないこと」にあるのです。

 

 

エスカレーター・レス・ミニマル

あなたは、上の階に行く際に、どのような手段を使いますか?

 

階段を使うか、エスカレーターを使うか、それともエレベーターか。

 

私たちの習慣は実に恐ろしく、本当は階段を使えば脂肪燃焼効果や下半身引き締まりが期待されるのにもかかわらず、何のカロリー消費もないエスカレーター・エレベーターを使いがちです。

 

さらに、エスカレーターとエレベーターは心理的な効果が異なるというのが私の持論です。

 

エレベーターは上下に急発進していくものなので、私たちは「自分のカラダによる運動だ」とは認識しません。

 

しかし、エスカレーターは、視界の変わりようが「階段上り下り」をする際のそれと同じです。

 

つまり、エスカレーターを使うと、運動した気になってしまうのです。

 

脳が錯覚しているにもかかわらず、体は1ミリも動いていません。

 

脳が錯覚しているので、これ以上運動しなくても良いだろうなんて考えます。

 

悪循環なのです。

 

 

 

腐りきった年功序列

私たちは、ある種、「個人差」を甘く見ているきらいがあります。

 

好みの顔や、嫌いな場所、お気に入りの国など、多少重なるところはあるかもしれませんが、全てが一致することはありえません。

 

ましてや、個人の思想や、考え方は、それらの「個人差」が長い時間をかけて醸成するものですから、むしろ「同じ方が不自然」といえます。

 

しかし、先輩という「人種」は、後輩という存在に対して、「その後輩の経験はまだまだ未熟だ」という発言をすることがあります。

 

さらに、年齢がかなり離れた人からは、そもそも生きていること自体や欲望を持つこと自体をある種否定されることがあります。

 

「人生、思い通りにはいかない」という暴力です。

 

何が暴力かと言えば、「正論」で、反論しようがありません。

 

正論を言われると、「自分が間違っているに違いない・・・」という悲しみに似た感情が湧き、元気がなくなります。

 

年齢が上で、当該の人よりも人生経験を重ねているのは、ある意味偶然です。

 

そして、さも、年齢が上の人だけが辛い経験をしてきたというテンションで語るきらいがありますが、当該の人より波乱万丈だったかどうかはわからないのです

 

そこに年齢が上に重なるだけで、勝手に金言になったりするのが一番怖いのです。

 

今、好きになってはいけない人を好きになっているとか、健康に悪いのだがやめられないことがあるとか、それを年齢が上の人から全否定されるというのは暴力です。

 

もちろん、当該の人が行っていることが一般的・客観的に悪いことだったとしても、まずは一方向の説教ではなく、対話が大事なのだと思います。

 

年齢を武器にするのは、卑怯だと私は思います。

 

 

エナジードリンク・レス・ミニマル

あなたは、1日に何本エナジードリンクを飲みますか?

 

周りの人が飲んでいると、「異質な香り」がしてくるので、たとえそこに缶がなかったとしても、「さっき飲んだな」とわかります。

 

実はこの問題、結構根が深いです。

 

なにかアクシデントが生じた際、私たちには二つの解決法が与えられます。

 

個を変えるか、社会を変えるか、です。

 

個を変えるとはまさに、「エナジードリンクによって疲れをねじ伏せる」ことを指します。

 

どんなに疲れていても、「それは自分のせいだ」と思い、あるいは思ってなくても、自己解決するわけです。

 

でもその対症療法では短期的な回復しか得られません。

 

寝るのが、先決です。

 

つまり、エナジードリンクをそもそも飲まなくてもいいような生活をすれば良いのです。

 

それな、社会を変える、システムを変えるということです。

 

しかしながら、組織を一人の力で変えることは不可能に近いですし、そうするモチベーションもあまりありません。

 

だから、「逃げる」という三つ目の選択肢が現れるのです。

 

 

「ムリ」だからおもしろい

教育とは、「才能を外に引き出す」という意味があります。

 

一般的な授業は、教育ではなく、CMのようなものです。

 

さらに、今のCMはストーリー性に富んで面白いので、授業はCM以下ということになります。

 

さて、「外に引き出す」教育とは、一体どのようなものなのでしょうか。

 

それは、私が考えるに、「ムリ」という概念に以下に接していくかだと思います。

 

例えば、東大に行きたいと言ったら、「文理どっち?」と聞くまでもなく「ムリ」だという担任。

 

東大は全部で7種類の行き方があるのに、そのいずれかを聞かずに否定するのです。

 

万が一、これまで数学を全くやってこなかった人が「理科二類目指します」と言ったとしても、否定するなんてありえません。

 

•••とここまでは、どんな本にも書いてありそうですが、問題はここからです。

 

今後、社会では「ムリ」だと批判されることが多くなってくるであろう生徒たちへの一番のプレゼントは何か。

 

それは、「ムリだと言われ慣れさせる」ことではないでしょうか。

 

慣れているとはすなわち、挑戦をたくさんしてきたということになるからです。

 

 

発信者の価値観

どんなにトリッキーな時間に起床して、どんなにトリッキーな時間に電車に乗ったとしても、同乗者は必ずいます。

 

世界人口は2050年には98億人になると推計されており、日本では実感がわかないかもしれませんが、地球上に人間はどんどん増えていきます。

 

さて、人間が増えるということはそれだけ価値観も多様化していくわけですが、その「多様化の仕方」のようなもの自体、多様化していくのではないかと予測しています。

 

今まで「倍」に増えていた価値観は、今や「乗」で増えていっているのです。

 

それは、今までは発信者であるメディアが「1」で、受信者である私たちが「多」だったわけですが、現代は発信者も「多」となっていることが主な原因と言えるでしょう。

 

この時代の中、私たちが身につけなければならないスキルは、「もう一度、受信者の立場に立ってみる」ということです。

 

発信者は、どんなに変なことを言っても、必ずそのメッセージを好意的に解釈してくれる人がいるせいで、自分の言っていることが正しいかどうかがわからなくなります。

 

一方、受信者はあくまで自分の元に届いた情報が「いいね」と思ったらそう評価するし、「ダメだ」と思ったら無視します(悪い評価ではなく、です)。

 

ただし、誰かしらが「いいね」をしてくれるため、発信者が個々の受信者を気にする必要がなくなったということです。

 

日本人教育が「手を挙げない文化」を意図せずに作り上げた結果、目に見える世界では発信をしなくなった人々ですが、

 

それは「発信する気持ちが最初からなかった」のではなく、あくまで発信の媒体がなかっただけです。

 

しかし、もともと発信の仕方を教わってこなかったため、発信に対する考え方がこじれ、匿名の発信が多くなってきました。

 

ここからは、本名ではなくても名前を出し、顔も出して発信していく文化が台頭します。

 

メディアリテラシーの真価が問われるときが、やってきました。