冷やし中華・レス・ミニマル

今日は暑いですね。

 

暑いといえば、

 

冷やし中華始めました。」

 

昔ながらの中華料理店にこの紙が貼ってあると、夏の訪れを感じますね。

 

しかしここであえて、大多数とは異なる行動をしてみましょう。

 

冷やし中華を食べる人が大多数の中、あなたは冷やし中華を食べないという選択をすることができます。

 

しかし、果たしてそのエネルギーは必要なのでしょうか。

 

あなたが冷やし中華を食べるかどうかなんて、どうでもいいんです。

 

これは今、冷やし中華に関する話題に限って話していますが、ほとんどの領域に当てはまると思います。

 

あなたが周りに合わせて飲み会に参加するかなんてどうでもいいんです。

 

あなたが有機野菜にこだわるかどうかなんてどうでもいいんです。

 

あなたが足元を見ながら将来設計するかなんてどうでもいいんです。

 

自意識から無理に離れようとするのが一番自意識過剰であることを認識すると、何かが拓けてくるかもしれません。

 

冷やし中華を食べるという選択」と、「なんとなく冷やし中華を注文」とは、全く異なる行動なのです。

 

 

「なんとなくガヤっと」

あなたは、授業参観に出かけたことはありますか?

 

我が子の授業を見に行ったり、研修で足を運んだりなど、カタチは様々ですが、他人の授業の様子を見る機会は少なくないでしょう。

 

ここで、一般的に「人気のある先生・授業」は何によって決まっているのかについて分析していきます。

 

例えばグループワークを実施した際、よくある現象として「なんとなくガヤっと」があります。

 

この「なんとなくガヤっと」とは、生徒たちが「一見、楽しそうに授業を受け、かつ、能動的に授業に参加している様子」を指します。

 

この状況を、授業をほとんど見学したことがない人が見ると、「わーすごい」と授業者を評価する傾向にあります。

 

しかし、耳を澄ませて聞いてみましょう。

 

「昼休みどこでごはん食べるー?」

「だりー」

「次体育だから着替えないと・・・」

 

これが全て「単純な音」となり、「なんとなくガヤっと」が生まれてしまうのです。

 

ざわざわとうるさい渋谷のスクランブル交差点を目の当たりにして「みんないい意見交換をしているなー」とは普通思いません。

 

しかし、授業というフレームの中では、このざわざわを「生徒が単純に話している」とは判断せず、(特に「この先生はすげーらしい」という噂・先入観を持った状態だと)授業者の功績と勘違いしてしまうのです。

 

 

あなたは特別な存在ではない

自分の人生や運命について猛烈に考えすぎる人は、得てして「自分はこの世界にかけがえのない存在だ」と思っています。

 

このこと自体は、良いことでも悪いことでもありません。

 

しかし、真実がそこにあるのだとしたら、「特別な人間」などいません。

 

神の子イエスはどうなのか?と聞かれれば、イエスは神の子なので人間ではないと言われるでしょう。

 

「特別でない」とは、「大事でない」とは違います。

 

「大事である」という度合いが、人によって異ならないということです

 

ただ、「みんな大事である」という言葉が成立しても、「みんな特別である」という言葉は成り立ちません。

 

「特別」とは、試験で落ちる学生と、受かる学生がいるということだからです。

 

ほんの一瞬、束の間の人生の中で、Aくんの方がBさんよりも「特別」だということはありません。

 

しかしながら、「特別だと、そう思っている」こともまた事実です。

 

「あなたは特別ではない」ですし、「あなたは特別ではない」と誰かが別の誰かに言う権利もないということです。

 

 

生姜焼き・レス・ミニマル

女性から「好きな食べ物は?」と聞かれ、「生姜焼きです」と答えると喜ばれます。

 

カンタンで、低コストで、失敗しないからです。

 

しかし、あまりにもカンタンすぎて、あまりにもカンタンに舌を喜ばせてくれるので、そこに遊びがないように感じます。

 

無機質なのです。

 

シンプルを追求しすぎると、一歩間違えれば「空虚」となってしまいます。

 

これが、ダイエットでいうリバウンドのような現象を起こして、さらにぐちゃぐちゃとしたものになるのです。

 

例えばそこで生姜焼きではなく「ビーフストロガノフ」と答えると、女性は一瞬凍りつきます。

 

当日までに何度も練習し、何度も失敗することでしょう。

 

そして、当日になっても上手くいかないかもしれません。

 

しかし、そこまで練習したビーフストロガノフは、「カンタン」でもなければ、「無機質」でもない、彼女オリジナルの味になります。

 

クックパッドで、見たこともない外国の料理を作る楽しさは、そこにあるのです。

 

 

ダイエット・レス・ミニマル

あなたには、仕事の合間や、休日の午後など、つい手が伸びてしまうお菓子はありますか?

 

「本当はやめたいんだけど、ついつい・・・」

 

と、ダイエット中にもかかわらず間食をやめられない人も少なくないかと思います。

 

ここで私が思うのは、

 

なんで、間食はダメなの?というか、ダメだと思い込んでいるの?

 

ということです。

 

「ダイエット中だから・・・」

 

間食だけが、ダイエットの結果や、夕食の美味しさを劇的に変えるなんてありえないことです。僕が気になるのは、

 

その時間に間食して、幸せを感じるのだとしたら、辞める理由がないのでは?

 

ということなのです。

 

話はここでは終わりません。もし、「本当は間食したいのだけれどやめています・・・」という人は、何より、

 

他人の間食に厳しくなってしまいます。

 

自分がガマンしていることを他人がやっていることに対して憤るのです。でも、他人にとっては「関係ないでしょ」と思われて当然です。逆に言えば、

 

自分の間食に寛容である人は、他人の行動にも寛容でいることができるのです。

 

休憩時間に「これお土産のお菓子なんですけど」とおやつを分けてもらえることがありますが、おやつを頑張ってガマンしている人はそれを断ってしまいます。

 

その人が望むのは「あなたのおやつガマンの素晴らしさ」ではなく、単に会話することなのです。

 

無理やりダイエットしたことによって、肝心の人間関係、つまり「よく頑張ったね!」と褒めてくれる人たちをなくしてしまったら何の意味もないのです。

 

 

読書・レス・ミニマル

突然ですが、私は、・・・

 

読書が大好きです(※誤植ではありません)。

 

しかし、誰かにいきなり「これオススメの本なんだー」と言われて読むことを強制されるのはキライです。

 

この違いはどこにあるのかを考えると、明らかに「自主性」です。

 

自分が読みたいときに、読みたい本がそばにある、という状況を作るために私たちは本を買います。

 

そうでなければ、単なる紙の束を、数百円あるいは千何百円で購入するなんてことはありません。

 

さらに、単に読むだけならば図書館で十分です。

 

いろんな書籍で、「読書すること」が勧められていますが、それは「本を読むことが絶対的に良いから」ではなく、「もっと本を買ってもらって印税を落として欲しいから」かもしれません。

 

さらに、自ら本を書くくらいですから、本好きなのは明白です。

 

ひとは、自分が趣味としてもっていることを、「好き」以上に「必要」「重要」「やっていないやつはバカ」と思う傾向にあります。

 

「読書は良い」という情報に、たしかに良いとは思いつつ、流されないようにしていく必要がありそうです。

 

結局何をすればモテるのか?

私たちは何のために生きているのかを考えると、その答えはだいたい「人間関係」カテゴリーに入るものになります。

 

例えば、子どもは、したくもない勉強をしてテストで100点を取ることで何を目指しているのでしょうか?

 

それは、よしよしです。

 

お母さん(なぜか知らないけどお父さんではない)のよしよしが欲しいから、100点をとります。

 

私たちが追い求めるのは「どうすれば好きなあの人に愛されるのか?」「どうしたら自分はモテるのか?」という、

 

極めて自分勝手、かつ幼稚園児みたいなものなのです。

 

私が見る限り、本当のモテ男・モテ女は、その欲求に忠実です。

 

モテたいからおしゃれをする

カッコよくなるorかわいくなる

モテる

 

モテたいからコミュニケーション術を向上させる

会話がうまくいく

モテる

 

どれも当然の帰結です。

 

はっきり言って容姿や身長などが大きな影響を与えているのは事実ですが、それはあくまで「遠くから見ていたとき、それくらいしか情報量がないから」です。

 

見た目は、とっかかりなのです。

 

そして、本当にモテる人は、依存していません。

 

なぜ依存していないかと言えば、「視野が広い」からです。

 

視野が広いということは、時々喋る人や、ご飯に行く人に「ちょっぴり依存」をほんの一瞬だけすることができるということです。

 

一瞬の会話会話で自分を出すことによって、長期的に1人の相手にのめり込むことを防ぐことができるのです。