無茶?どんどんしようよ。

他人の目を気にして、やりたいことをやれないでいる人はおそらく日本に6,000万人くらいいると思います。なんとなく。

 

自分がチャレンジしてみたいことなのに、なぜ一歩踏み出す勇気がないのでしょうか?それは

 

自分だけが特別・最強な存在であるという錯覚があるから

 

です。

 

あなたが、個人的に「オリジナルで面白い」と思っていることをやり始めたとしても、ほとんどの人にとってはどうでもいいことなのです。現に、あなたの周りの人が何か新しいことをスタートしたということを聞いても、「へぇ・・・」以上の感情は湧きません。

 

人は人のことを気にしているほどヒマじゃないからです。

 

この「真理」のようなものを、逆手にとってみましょう。

 

あなたが何を始めたとしても、周りの人は気にしません。突拍子もないことをしたとしても驚きません。なぜなら、

 

ほとんどのことは、やり尽くされているからです。

 

あなたが「新しい小説を書きたい」と構想していることは、もうすでにいろんな人によって書かれている可能性が異常に高いです。

 

先生と生徒との恋愛?不倫からの純愛?

 

よく観察してみると、映画もドラマも小説も、俳優が変わっているだけで中身は95%くらい似通っています。

 

好きかどうかの判断は内容・テクストではなく、人物の好き嫌いに終始しているのです。

 

「でもSNSは最近できてきたものだから、こういうアプリは初だと思います」

「この表現方法は、誰にも思いつかないものだと思います」

 

では、あなたが「新しい」と思ったそのアイディアはどこから生まれたものなのでしょうか。もちろん100%とは言いませんが、

 

誰かのアイディアを見て、そこから思いついた場合がほとんどです。

 

ということは、他の人も、あなたが目にしたアイディアから似たような発想を生んでいる可能性は十分にあります。

 

・・・すると、どうでしょうか?

 

自分がこれからやろうとしていることって、意外とフツーのことなのかもなって思うはずです。

 

フツーのことをやるだけ。それを、あなた自身がフィルターにかけて難しくしているだけなのです。

 

そして、勇気をもってそれをやってみたら、あなたのアイディアに賛同した仲間たちがやってくるのです。

 

あなたの心の中にある「アイディア」、やるなら今かもしれませんね。

 

 

伝説のレンタル・ミニマル

あなたがイメージする「レンタル」には、どのようなものがあるでしょうか?

 

レンタルCD・DVD、リース、アパートやマンション、などなど・・・結構挙がります。

 

僕自身、レンタルは以下の2つに分けられると伝えたいです。

 

[1] モノを借りて、「家で消費する」

[2] 自ら出向いて、「その場で消費し、持ち帰らない」

 

まず[1]については、CDを借りて、家で聴くということです。しかし、よく考えてみると、

 

借りモノじゃないモノは、ありません。

 

極端な話かもしれませんが、私たちがあの世に旅立つときには、モノはおろか、今まで数十年も連れ添ってきた肉体さえも置いていかなければなりません。ということは、今あなたが「当然のように『自分のモノ』だと思っているモノ」も、借りているという表現がふさわしいことになります。

 

そして、私たちはなぜ「レンタル」を選択することがあるのか?その理由は一つ。

 

その方が、圧倒的に安いからです。

 

人が触ったものを触るのがレンタルです。そして、(新品を)買うというのは、「誰も触っていないものを触る」ということです。

 

ここで、僕はレンタルを選択する理由をもう一つあげたいです。それは、

 

モノをとっておくことのコストをゼロにできるということです。

 

このカギは、「保持している期間の短さ」にあります。どんなにモノを粗末に扱う人でも、1週間レンタルのCDをなくすということはほとんどありません。割ったり、キズをつけたりすることもほとんどありません。それは、「持っている期間が短い」からにほかならないのです。

 

そして、私たちは、持っているモノに対して「持っている!!」という感覚をだんだん持たなくなります。持っているというよりも、「ある」というイメージになっていきます。

 

これが、モノが増えるメカニズムです。

 

その点、レンタルであれば、常に新鮮な感覚でいることができます。限りある時間を大切にすることができます。

 

次に、[2]については、漫画喫茶に足を運んで漫画を読むことが挙げられます。これは、「旅館に行き、旅館の部屋をいっときだけ味わう」ことでもあります。

 

「外国に住みたい」「自給自足の生活がしたい」という欲求は、ある程度「借りる」ことで満たされます。実際、とりあえず旅行してみようかということで現地に行くと、もうそれで満足してしまったりします。

 

これが、いきなり永住では、コストがかかりすぎるのです。

 

もし、場所を借りた上で、本当にそこに住みたいと思えば、その選択をすればいいだけのことです。焦ってはいけません。

 

借りるという発想は、どんなモノ・場所・人にも、当てはまるのです。

 

 

悪口タラタラ飲み会ミニマル

あなたは月に何回、飲み会に参加しますか?

 

完全プライベートのものを除いて、僕は飲み会を「サビ残」だと捉えています。

 

さてさて、あなたはある飲み会が終わって、「お疲れ様でした〜」と解散した時に、どのような気持ちを経験しますか?

 

・さわやかな気持ち

・どんよりとした気持ち

 

そもそも、アルコールが入っているのにも関わらず、気持ちがさわやかでないこと自体おかしいことに気づくべきなのです。

 

飲み会の90%が「悪口」でできていると言っても過言ではありません。そして、さらにそのうちの90%が、「他人の悪口」によって構成されています。

 

もし、あなたがそんな飲み会ならと中座して、翌日から村八分にされたとしたら、そんな村には最初からあなたはいる必要がなかったと思いましょう。

 

もちろん、この飲み会にはメリットもあります。

 

人間関係を構築するためには、自分たちの集団を内集団(in-group)、別の集団を外集団(out-group)とみなして精神的安定を手に入れることが一つの手段として使われています。

 

そのような過程の中で、あなた自身が「そんな、いない人の悪口を言うなんてサイテーだと思います。」と言おうものなら、あなたはその集団の中の敵としてみなされるのです。

 

これは、いい・悪いの話ではなく、現実です。

 

参加してしまったのであれば、自分自身が「いない人の悪口に同意する自分になったらおしまいだな」と滝行の気分になると、気持ちの切り替えができてよいかもしれません。

 

 

「成功者は語る」レス・ミニマル

あなたはいま、何かで大成功を収め、インタビューを受けています。

 

あなたはこれまでの体験や感じた思いを赤裸々に話し、時に涙し、それらをインタビュアーは真剣に書き留め、頷いています。

 

成功した人は、何を言っても、美談になることを知ります。

 

どんな行いにもウラ面とオモテ面がありますが、成功者が語る行いはオモテ面だけ見られます。

 

ポイントは、それが必ずしも「良いこと」とは言えないことです。

 

自分が何を言っても美化されることは、一見望ましそうですが、そこには怠惰、堕落が潜んでいるように思えてなりません。

 

一人地上に見えている成功者の「下」には、無数の敗者がいます。

 

その敗者たちが、一人の成功者のたったひとつの方法を使っていないから負けたのだと、果たして誰が言えるでしょう?

 

取材陣は、メダリストにだけ、「お疲れのところ恐縮です。本日はありがとうございます。」と言います。

 

敗者は疲れていないかのようです。

 

私たちが本当に見なければいけないのは、一億分の一のメソッドを鵜呑みにすることではなく、成功者はこうして第二の成功を自ら再生産するという現実なのです。

 

 

筋トレマシーンが続かない理由

あなたは、真夜中の通販番組でつい筋トレマシーンを購入してしまったことはありますか?

 

筋肉ムキムキの男性女性が鍛えているのを見て、思わずかってしまいそうです。

 

ただ、気づかなければいけないことがいくつかあります。

 

まず、「このマシーンを使う前からマッチョな人がそのマシーンを使っている」ということです。

 

元々潜在能力がある人が使っているのを見て、潜在能力がない人が想像するのです。

 

ここから、深い気づきがあるような気がします。

 

成功者は、成功本を出版します。

 

しかしその成功本は、「どうすれば成功するかを読者に伝えること」が目的ではありません。

 

単なる自慢本、アピール本なのは、文面を見ればすぐわかります。

 

一般に「自己啓発本」が嫌われている理由は、不運にも1冊目に手に取ったその本が自慢オンパレードだったからでしょう。

 

色々な情報を総合的に判断すると、意外とマッチョな人は特殊なマシーンを使っていなかったりします。

 

即効性が出にくい筋トレを、筋トレマシーンならショートカットできるという誤った刷り込みが、消費者を自信過剰にさせ、一気に地に突き落としてしまうのです。

 

 

恋愛テクニックミニマル

あなたの目の前に「石橋」がデーンとあった時、あなたはハンマーを使いますか?

 

僕は正直、欠けた一つ目の石ころが大海に流れ着く頃まで石橋を叩き続けてしまいます。

 

そんな僕を、一瞬救ってくれるのかな?と思ったのが「恋愛テクニック本」です。

 

買うのが恥ずかしい人は、とりあえずファッション雑誌を買って、後半に掲載されているモテ特集を血眼になって読み耽ります。

 

僕は、恋愛テクニック本でテクニックを学ぶこと自体、恥ずかしいことでは全くないと思います。

 

学校で教えられないのだから、独学する志は素晴らしいものです。

 

しかし、僕がここで言いたいのは、「恋愛テクニック本を読んでまで恋愛したいんかい!」という幼稚なちゃちゃではありません。

 

テクニックで捕まえた相手は、テクニック的関係にしかならないということです。

 

例えば、顔のどちら側を見せるのかとか、サラダを取り分けた方がいいのかとか、そんなことで変わる恋心などはありません。

 

もしそういった付け焼き刃のテクニックで恋愛関係が成就するとしたら、それは

 

[1]ギリギリところてんステージ:元々絶対的な好意があって、あともう一押しがあればOKだった

 

[2]みんなのラーメン・カレーステージ:誰でもいいからとりあえず付き合いたい

 

のどちらかだと思われます。

 

[1]の場合、テクニックは最後の一手です。よって、仮にこれが成功したとしても、それはあくまで相性自体がよかったということになります。

 

[2]の場合、ぶっちゃけ誰でもいいから寝たいなんて考えている人が、テクニックを仕掛けられて「この人は今、誰でもいいから寝たいんだな」と需要供給が一致したと判断してOKを出しているのです。

 

「誰でもいいから」というのは、決してネガティブな意味で言っているのではありません。

 

問題は、「恋愛テクニックに対して本気を錯覚するのは中学生くらいまで」だということに気づいているかどうかです。

 

簡単に手に入るものほど、簡単に手からするりと滑り落ちて行くような気がします。

 

逆に、この人だ!と思った「運命の人」に対しては、テクニックを使うことさえおこがましく感じるでしょう。

 

そう考えると、好きな相手に対してテクニックを使おうと思ったかどうか自体、あなたの本気度の指標になっているのかもしれませんね。

 

 

趣味?生きることですけど・・・

このブログが書籍化する上で、「(無)趣味」というワードは欠かせないものになるかもしれません。

 

それほど、趣味があるかどうかということは、ミニマルな生活・ミニマルな人生を設計していけるかどうかに大きく関わっているように思えます。

 

あなたは、こういう経験はありませんか?

 

(例1)

大衆居酒屋や、駅のガード下などで、昼間から酒を酌み交わし、タバコの煙をくゆらせ、ワイワイ騒いでいる人を見るとなんだかホッとする。

 

(例2)

猫がひなたぼっこしていたり、鳥がただただ佇(たたず)んでいたりするところを目にすると、なんだかホッとする。

 

もし、上のような経験が最近多いなという人がいれば、

 

間違いなく、あなたは疲れています。

 

まず(例1)についてですが、この光景を見てあなたがホッとするのだとしたら、それは「あなた自身、一度はやってみたいという願望」を表しているのだと思います。

 

まだ太陽が昇っているっていうのにアルコールなんて・・・と思いつつ、その自由気ままなライフスタイルに惚れ惚れしているのです。

 

また、(例2)についてですが、これは私たち自身の本来の姿であることを目の当たりにして、懐かしむような気持ちのように思えてなりません。

 

何も考えず、ただお日様の光を存分に浴びるという、生物全てに与えられた権利を、なぜか羨ましく思っているのです。

 

さて、上の二つの例に共通している部分は何でしょうか?

 

それは、

 

「趣味?考えたこともねぇな・・・。うーん、こうやっていることかな。」と即答すること請け合いだということです。

 

昼間から生ビールに焼き鳥、あくびをしながら陽の光を楽しむこと。

 

すべて、誰も見ていなくても楽しめる、最高の極楽です。

 

一方で、焦りに焦って趣味を見つけた人の顔は、本来の私たちの顔では決してありません。

 

どんなに楽しそうなそぶりを見せても、携帯の充電が0%になってしまい、写真を撮れなくなったことが確定した瞬間につまらなくなってしまうような行為は、趣味とは程遠いものなのです。