なぜ、「自分は注目されていない」と思うことが、たまげるほど幸せなのか?その1

 こんにちは。minipsyです。今日もあなたの心に突き刺さる一言が書けるよう、頑張っていきます。

 

 今日のテーマは、「注目されている」ことについてです。私たちは日常生活の中で多くの人を見ます。その時間にばらつきはありますが、見ることも見られることもごく自然のことです。このごく自然なことをどう考えるかによって、あなたの精神的な健康状態は驚くほど変化します。これについて、今日は書いていきます。

 

【1. 注目されていると感じるメカニズム】

 メカニズムと書きましたが、かなり単純です。

 

 あなたが電車に乗ったときのことを思い出してください。空いた車内にあなた一人だけ入って来たとしたら、多くの場合、誰かがあなたのことを見ます。ここで、「自意識過剰な人」は、

 

 自分が見られている

 

 と感じます。当たり前のことのようですが、現実はこの認知と微妙に異なります。実際車内にいた人たちは、「あなたを見た」のではなく、

 

 入って来た人を見た

 

 だけです。「いやいや、今日オレは奇抜なTシャツを着て乗った。だからオレに注目したんだよ」と言う人もいるかもしれませんが、それも「あなたを見た」のではなく、

 

 奇抜なTシャツを見た

 

 だけです。あなた自身、街中で変な個性的なデザインのTシャツを見ることも少なくないと思いますが(僕も今日2人くらい目撃しました)、そのとき、そのデザイン自体が頭に残っていても、それを着ていた人がどんな顔だったかなんて覚えていませんよね?

 

 では、なぜ注目されていると勘違いするのか。それは、あなたを見たそれぞれの人たちにとって、それぞれの人の目線というのは独立した1つ1つにもかかわらず、

 

 それが視線の集合体のように感じるからです。

 

 学校の授業や全校集会などで、みんなの前で発表するとき、あなた自身は「みんなに見られている」と感じます。これはたしかに事実なのですが、そのみんなはそれぞれ個別の視点をあなたに送っているだけなのです。

 まずこの事実に気づくことによって、あなたの「誰にも注目されていない」生活が始まります。

 

【2. 自分が観察者自身だったらどう見たかをイメージする】

 電車の例を再び挙げます。今日も僕は電車に乗りました。乗車するときは、なるべく空いている車両がいいなと思ったので、階段に近い真ん中ではなく、はじっこの車両に乗りました。

 ただ今日は暑かったので、降りるときは階段に近い真ん中の車両からおりて、なるべく暑さを感じないように目的地のカフェに行きたいと思いました(ほんの少しの差ですが)。

 そのとき、僕は車両2両分一気に歩いていきました。空いていたのでほとんどの人が座っていて、何人かは僕をちらっと見た気はしましたが、何にも気になりませんでした。それは、・・・

 

 もし自分が座っていた立場だったら、歩いている人を見ても何とも思わないだろうと思った

 

 からです。実際、車両の一番前に行って車掌さんの席を見たりとか、先ほどの僕のような考えで車両を移動したりする人は結構います。そのとき、「えっ、何あの人・・・?」なんて絶対に思いません。なぜなら、

 

 人には、他人のことをいちいち考えているヒマはないからです。

 

 この事実を頭に入れておけば、少々人目が気になるようなこと(一人焼肉や一人カラオケなど)も余裕でできるようになります。

 僕自身、(主に女性についてですが、)一人で颯爽とラーメン屋に入り、淡々と目の前のラーメンを味わい、帰っていく人を見ると、「かっこいいなぁ!」と思います。一人で行動している人って、かっこよく見えるんですね。僕だけかもしれませんが。

 多分それって、「日本人の多くがそれを恥ずかしがっている」という暗黙の文化みたいなものがあるからだと思います。そういう意味で個人行動は目立つのかもしれませんが、それはネガティブな視線であるどころか、

 

 かっこいい! ステキ!

 

 という憧れの眼差しに違いないと思います。

 

 つづきは、次回に書いていきますね。