なぜ、「自分は注目されていない」と思うことが、たまげるほど幸せなのか?その3

 こんにちは。minipsyです。今日もあなたの心に突き刺さる一言が書けるよう、頑張っていきます。

 

 前回のつづきです。前回は、

 

 この世の全てのモノゴトは、好き嫌いによってのみ決定されている
 

 という真理について話していきました。では、これが「注目」とどう関連して行くのでしょうか。

 

【4. 「注目されている」という心理の真実はアレだった?】

 はじめに、「自分は注目されていない」という人は、この世の流れが人々の好き・キライによって構成されているということを知っています。自分のことを好きな人は自分に注目するだろうし、自分のことをキライな人は注目しない・あるいはネガティブな視線を向けるだろう、と。

 

 そして、「注目」というのは、「自分が決めること」ではなく、「他者が決めること」であるという結論に行き着くのです。

 

 他者が決めることであるならば、「注目されている」というのはあくまで結果的なものであり、こちらが怯えながらそれこそ注目するものではないということに気づくことができます。

 

 ちなみに、「自分は注目されている」「自分は注目されていない」という状態について考えるとき、次のことに注意する必要があります。それは、

 

 「自分は注目されていない」と、「自分は無視されている」は全く別モノ

 

 だということです。「自分は無視されている」というのは、

 

 自分の意識がその他者に向いているからこそ起こる認知です。

 

 例えば、電車でたまたま隣の席になった人が、あなたのことを見ても何も話しかけてこないとき、あなたは「無視された」とは思いません。「そもそも注目されていない」と思うはずです。無視をされたと思うということは、あなたが「良い評価をもらっている」という期待が多少なりともあったことを同時に示しています

 

 つまり、「注目されている」の正体は、自意識過剰》に、《自分自身に指針がない》ということが加わっている状態を指すのです。

 

 極端なことを言えば、「注目されている」というのは主観にすぎません。あなたのことを誰かが一瞬だけ見て、視線をそらしたとき、「注目されたかどうか」を判断するのはあなた自身なのです。

 

 そして、注目されていると感じることが多い人は、「自分自身の譲れない信条」のようなものがありません(これは、ないからダメだという意味ではありません)。

 

 自分の信条や指針がある人は、「注目されていようがされてなかろうが、やる」んです。自分が正しいと思ったことを。他者の視線から上手に距離を取ることができています。

 

 これって、本当に面白い事実だと僕は思います。なぜなら、客観的な意味で注目されている人ほど、自分が注目されていると思っていない場合が多いからです。というよりも、

 

 「自分が注目されている」と思うヒマがあったら、自分の目標に向かって邁進している人が、注目されるのです。

 

 一方で、「自分は注目されている」と思っている人ほど、大した実力がなかったりするため、実際は全く注目されていなかったりします。

 

【5. 注目からの解放が、幸せへの近道】

 デパートの地下食品売り場では、「ガラス越しに、調理を見ることができる場所」が結構あります。私たちは、やっぱり出来立てのものが食べたいし、どういう人が作っているのか見られるなら見ておきたいと思いますので、ガラスの向こう側で汗を流しながら必死に料理をしている人に「注目」します。ここで、料理人がやるべきことは、

 

 その観衆に、手を振ることではありません。

 

 そんな姿が見たいのではないのです。調理に集中している姿、「注目に注目していない姿」がカッコイイから、観衆は注目し続けるのです。 

 

 ですから、もしあなたが本当の意味での注目を集めたいのなら、一旦「自分が注目されている」という錯覚のようなものから自分を解放してあげる必要があります。

 注目の主体はあくまで他人であって、自分がコントロールできるものではないということを認識することによって、あなたの思い描くゴールに、一歩近づくことができるのではないでしょうか。