既読スルーの深淵

将来、紙幣や硬貨以外の何かが、モノとの交換手段としてメジャーなものになるのは確実です。

 

そして、かなり高い確率で、それは「目に見えない」でしょう。

 

私たちは目に見えない情報というものに段々と慣れてきました。

 

この手で打ち込む情報は、何の根拠もなくインターネット上にアップされ、特定の人、あるいは誰もが見られるようになります。

 

従来であれば、手紙を送って返事がなければ、基本的には人間関係は終了ということになります。

 

しかし、現代では、あまりにも情報の手段が簡便になっているため、「返事をすること」にも大きな価値が見出されなくなっているのかもしれません。

 

既読スルーされた理由が、昔よりも多様になっているのです。

 

手紙は、9割以上、既読スルーです。よほど外見が気持ち悪いものでない限り、読まれてはいます。しかし、手紙を送った人にとっては、読んだかどうかはわかりません。返事の有無などによって、タイムラグを挟んで知ることになります。

 

一方、SNSや、スマートフォンのメッセージは、既読スルーされる確率は未知数ですが、送信者にははっきりわかります。

 

既読スルーされても、人間関係はスルーされていないのかもしれません。

 

むしろ、既読スルーするということ自体が、人間関係の質の高さを表していることさえ、ありえます。

 

私たちは、自分が主体となって行うことは意外と忘れやすいですが、自分がされたことは鮮明に覚えていたりします。

 

自分の既読スルーの数を数えている人はいませんが、好きなあの子からされた既読スルーは、忘れないのです。