100歳から見れば60歳なんてまだまだはなたれ小僧だとかは1年に一回くらい思えば十分であると思った件

人間はときに、突拍子もない言葉を投げかけられることがあります。

 

そのとき、もちろん「意味わかんねー」と突っぱねることもできはしますが、

 

「ひょっとして、この言葉は金言なのに、それを自分が理解できていないのではないか」と錯覚することがあります。

 

「何かができない」ときに、(A)それを自分のせいにするのか、それとも(B)それを他人あるいは自分でない何かのせいにするのかの二択があります。

 

あなた自身が抱えている悩みに対して、それを暴力的に超越するような言葉が存在します。

 

その例のひとつが、まさに今回のブログのタイトルにある言葉です。

 

はっきり言って、100歳でなくてもいいですし、60歳でなくてもいいですし、はなたれ小僧でなくてもいい。

 

そこは大事なところではありません。

 

要するに、「まだまだ若いんだから頑張りなさい」的なことを言おうとしているのです。それに加えて、その言葉には"いくばくかのトゲ"を感じざるを得ません。

 

私たちは、まだまだ棺桶からの距離がある人生を送っているのかもしれませんが、日々を必死に生きている人がほとんどです。

 

そんな中、いきなり、偶然年長者になった人にこれ見よがしの名言アピールをされても困ります。

 

たしかに、年齢を重ねることによってみえる後悔はあるでしょうが、その時に感じた感情でない限り、それはなかったも同然だったりするのです。

 

年長者が過去を振り返る時の18歳と、西暦1999年生まれの現在の18歳とは、全く違うものであることを理解しておく必要があると僕は思います。

 

そういったことを踏まえて、それでも、年長者の意見を聞くべき時はあるかと思います。

 

だから、1年に一回くらいであれば、取り入れてもいいかなと思うわけです。

 

まったくもって必要ではないと言っているのではありません。

 

視点を多く持つことは大事ですが、今あなたの眼球によってとらえている現在が、最も信じられるものであり、信じるべきものであるのかもしれないのです。