一番履き違えてはいけないもの

いつも読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

今日も、花粉症のせいでいつもの思考回路が留守中だ。

 

一方、普段は使わない脳の部位が僕に本質的なことを教えてくれているような気がするので、そのことをリアルタイムで書いていく。

 

家族を幸せにするために働くというのは、一つのライフスタイルだと考える。

 

つまり、考えなければいけないことは、目的は「家族の幸せ」であり、「働く」「お金を稼ぐ」ことは手段であるとということだ。

 

[目的]  ←  [手段]

家族   勤労

 

さて、私たちは得てして「思考停止」に陥る。

 

この思考停止とは、ルーティンワークをする際には何の問題もない。

 

逆に言えば、ルーティンワークをしているだけでは思考しているとはいえないのだ。

 

そんな中、思考停止状態で働き続けると、どこかのタイミングで「給料が上がる」「地位が上がる」といったポジティブな変化の際、目的と手段が逆さになる危険性がある。

 

危険性と書いたが、本人が危険だと感じるのはだいぶ後になるかもしれない。

 

事実としては収入アップも地位アップも喜ばしいことであるし、間接的・直接的に家族の幸せにも直結しうる。

 

そして、上司にこう言われたらどうだろう。

 

「休みは減ってしまうかもしれないが、キミには期待している」と。

 

[目的]  ←  [手段]

勤労   勤労

 

ここが、僕自身が考える「一番履き違えてはいけないもの」だ。

 

最初は、ほとんどの人が、「幸せ」のために仕事を選んだ。

 

仕事に貴賎はない。本人が喜びとするのなら天職にさえなりうる。

(いっさいの犯罪行為を除く)

 

しかし、それはいつしかたまに感じればラッキーくらいのものとなり、大人たちは口を揃えて「生きていくためには苦労が必要だ」と言う。

 

でもね、すべき苦労と、する必要のない苦労って、あると思うんだよね。

 

それに、家族の幸せのために仕事を頑張った結果、肝心の「家族と過ごす時間」を取れないのって、どうなんだろう?

 

ここではものすごくシンプルなことを言っているので馬耳東風となるかもしれないが、本人がどのくらい考える力があるかにかかっていると思う。

 

少なくとも現在は読者もあまり多くない。そんな記事をこうして読んでくださっているあなたには、きっと利害関係以外の何かを感じ取ってほしいと思っている。

 

理想論と批判する人間もいるかもしれないが、そもそも理想がなければ何も始まらないのではないだろうか?