概念を概念で学習する危うさ

私たちは、誰一人として、「織田信長」を見たことがありません。

 

一方、友達のAくん、先輩のBさん、姪っ子のCちゃんは、何度も見たこと・会ったことがあります。

 

織田信長は、教科書で数行書かれているだけで、性格はわかりません。

 

しかし、私たちは、まるで自分の身内のことを語るかのように、「織田信長はね、室町後期の戦国大名で・・・」と言う。

 

おかしくないですか?

 

「安土・桃山時代の武将」という意味そのものがわからないまま、私たちは豊臣秀吉について語ることができるのは。

 

1558年に信長に仕え、しだいに重用されて1573年に近江を与えられ長浜城主ですと言われて、私たちは「わかった気」になります。

 

それで十分です。だって、試験には「信長のプライベート」なんか出題されないからです。

 

この勉強法では、もはや信長や秀吉は「概念」と化しています。

 

そして、個々の知識も、概念です。

 

概念を概念で学習している状態なのです。

 

一方、友達のAくんがつり革につかまらずに電車に乗っていたら、急停車のときに思いっきり前に倒れそうになったとします。

 

横でそれを見ていたあなたは、「これが慣性の法則か」と思うわけです。

 

これは、「見たことを概念で学習する」ことになります。

 

この間原宿の有名な靴屋さんで、金髪の若者の店員さんが中国人の客に英語で完璧に対応しているのを見て、なぜか愕然としてしまうのです。