発信者の価値観

どんなにトリッキーな時間に起床して、どんなにトリッキーな時間に電車に乗ったとしても、同乗者は必ずいます。

 

世界人口は2050年には98億人になると推計されており、日本では実感がわかないかもしれませんが、地球上に人間はどんどん増えていきます。

 

さて、人間が増えるということはそれだけ価値観も多様化していくわけですが、その「多様化の仕方」のようなもの自体、多様化していくのではないかと予測しています。

 

今まで「倍」に増えていた価値観は、今や「乗」で増えていっているのです。

 

それは、今までは発信者であるメディアが「1」で、受信者である私たちが「多」だったわけですが、現代は発信者も「多」となっていることが主な原因と言えるでしょう。

 

この時代の中、私たちが身につけなければならないスキルは、「もう一度、受信者の立場に立ってみる」ということです。

 

発信者は、どんなに変なことを言っても、必ずそのメッセージを好意的に解釈してくれる人がいるせいで、自分の言っていることが正しいかどうかがわからなくなります。

 

一方、受信者はあくまで自分の元に届いた情報が「いいね」と思ったらそう評価するし、「ダメだ」と思ったら無視します(悪い評価ではなく、です)。

 

ただし、誰かしらが「いいね」をしてくれるため、発信者が個々の受信者を気にする必要がなくなったということです。

 

日本人教育が「手を挙げない文化」を意図せずに作り上げた結果、目に見える世界では発信をしなくなった人々ですが、

 

それは「発信する気持ちが最初からなかった」のではなく、あくまで発信の媒体がなかっただけです。

 

しかし、もともと発信の仕方を教わってこなかったため、発信に対する考え方がこじれ、匿名の発信が多くなってきました。

 

ここからは、本名ではなくても名前を出し、顔も出して発信していく文化が台頭します。

 

メディアリテラシーの真価が問われるときが、やってきました。