アドバータイズ化する教育
書籍化に向けて、重要なことを書いていきます。
最近(というわけでもないですが)、教育は「広告化している」と僕は思います。
アドバータイズとは、ある製品や、アイディア、サービス、あるいは会社・グループに対する注意を喚起することを目的にして、メディアを通じて戦略的に上右方を与えることを指します。
例えば、ある中高一貫校ではこんな素晴らしい取り組みをしていますと、「生徒をエサにして」伝えているもの。
かなり強い言葉を使いましたが、本来生徒というものは学ぶ「目的」そのものとして尊重されるものであり、運営側にとっての「手段」として使われるのはもってのほかです。
新しい教育を行っている時も、いわゆる知識偏重型の「古い」教育を行っている時も、満足する生徒と不満な生徒の割合が大きく変わることはありません。
問題は、ハード(カリキュラム)だけでなく、ソフト(教員ひいては生徒)にもあるのです。
生徒自身が考えて行動することをウリにする場合も非常に多いですが、それは別に学業において発揮されていなくても良いのです。
生徒が自分の脳みそで考えることができる授業は、「素晴らしい」のではなく、「珍しい」「新しい」という観点から報道されています。
2030年にもなれば、「生徒自身に考えさせることは『甘え』を生み、肝心のインプットが少なくなってきました。よってこれからはスーパーインプット教育をしましょう」となるでしょう。
これは、バブル時代のダンスが再び流行するのと全く同じ現象です。しかし、そういうのが単なる趣味の範囲であれば良いと思いますが、生徒の人生を左右する教育を広告として利用するのはどうなのでしょうか、と個人的には思います。