英語勉強・レス・ミニマル
「英語の勉強」に関するこの記事を読む必要がない人、あるいは読むことによってマイナスな影響がありそうな人は、
・すでに英語を使った仕事に従事している人
・受験勉強で(仕方なく)英語を勉強している人
・好きで英語を勉強している人
・この記事をハナから受け入れる気持ちがない人
です。誠に残念ですが、僕は万人向けのメッセージを送ることはしませんので、人生を生き抜くために英語を勉強している人や、英語が大好きな人とはここでお別れです。
一方で、この記事を読むことによってメリットを感じるであろう人は、
・まず前提として、日本人(あるいは、日常生活で英語を全く使わない方々)
・ただなんとなく、「英語を勉強しなきゃかもな」と思っている人
・英会話塾が近くにあってちょうど入会費無料ってなってて迷っている人
・周りがみんな英語を喋っていて、自分も仲間に入らないといけないと思っている人
です。これらに当てはまる人は、ぜひ、この記事をお楽しみいただきたいと思います。それでは始めます。
私たちは学校で、科目の一つとして英語を学んできました。そして、学校を卒業して、今に至ります。街を歩くと、日本語表記の下に英語表記がある看板を多く見かけます。カフェでコーヒーを頼む時も、「小さいやつで」って言ったら、
はい、ショートサイズですねっ!
って、あえて言い直されたりします。これほど、英語は私たちの日常に深く浸透しているものですし、だからこそ、私たちは英語を勉強しなきゃと思うわけです。
ここで、気づいて欲しいことがあります。私たちが「何かをやめたい」とき、無理やりやめようとしても長続きしません。それは、
そもそも、なぜそれをやりたい気持ちになるのか
というメカニズムを正しく理解していないからです。メカニズムを知っていなければ、再び「やりたい」気持ちになった時に、今までの中断はカンタンに覆されてしまいます。
それでは、本題です。こんなに街中に英語があふれていて、かつ学校でも何年もかけて英語を勉強してきたというのに、
なぜ、これまであなたは、自主的に英語を勉強してこなかったのですか?
これは責めているのではなく、単なる質問です。あなたが英語を勉強しなかった、正確に言えば、能動的に英語に取り組んでこなかったのは、
単純に、「なんでしなきゃいけないの?」って思っていたからです。
それ以上でもそれ以下でもありません。する必要がないものは、しないのが普通です。
例えば、「すべての国の首都を暗記する」ということを考えます。首都って、もちろんたくさんありますし、覚えにくいものもたくさんあります。
この「国の首都」について、僕があなたに「勉強しなさいっ!」って言ったら、
多分、無視されます笑
だって、首都をただただ勉強する必要性を感じないから。ちなみに、
「いや、私はやるって答えます!」
と言う人がいるとすれば、そもそも地理や国の知識に興味がある人です。単純に面白そうだなと思う人が勉強するのです。これは、英語が大好きだから英語を勉強するのと何の違いもありません。
この「必要性のない勉強」(あなた自身がないと感じる、という意味で!)の例は、いくらでも挙げることができます。魚の漢字とか、各都道府県の郵便番号とか・・・。そして、本当は英語もこの中に入るんです。いわば、英語の勉強を今やめている人というのは、
義務教育で仕方なく歴代のアメリカ大統領を覚えていたけど、卒業した瞬間にやめた人
と、本質的には一緒なんです。では、どうして、英語にはそのような考えが及ばないのでしょうか。それは、
英語って、なんとなく、やっていないよりはやっている方がいいような気がしなくもないから
なのです。道端で外国人に道を聞かれた時、英語を喋れた方が、喋れない場合よりもいい感じがするし、いつか自分が旅に出た時、英語を喋れた方がいい感じがする。
これは、もちろんあなた自身がそう思うということもあるのですが、多くはテレビなどの広告によって「思い込まされている」部分が多いのです。
あなたは「いま」、本当に英語が必要なのでしょうか?たしかに、外国人と英語で喋れた方がなんとなくカッコイイかもしれないし、旅には英語は欠かせないかもしれません。でも、
道端で外国人に道を聞かれたら、とりあえず「アイドンノーソーリー」って言えばよくないですか?
あなたは日本人なんです。日本語を母語として育ってきた人なんです。英語が分からなければ、「分かりません」と毅然と答えた方が誠実だと僕は思います。そうしたら、彼らは「英語が喋れる人」を探して再び歩き出します。
道端で、英語での応対ができないことに対して、外国の方が注意する権利はありません。そして、私たちが彼らに対して英語で応対する義務はありません。
「なんか冷たい」と思うかもしれませんが、それも思い込み、もっと言えば「思い込まされ」だと僕は思います。外国の方にとっては、日本語で応対された方が日本語の勉強になると喜んでくれるかもしれないのです。どういう印象を相手がもつかはわからないのです。
ここで言っておきたいのは、「いざという時に使えるからという理由で英語を勉強するのはやめよう」という単調なメッセージではなく、
あなたの限りある人生を、「なんとなくの英語勉強」に費やしてもいいんですか?
ということなんです。