心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

人間関係的な地位向上に関する考察

私たちはさまざまな要因によってその地位が上下することがあります。

 

例えば、大学受験を頑張る理由は一定程度そこにあって、東大を目指すことによって今後の社会的地位が高まることを見越して、やりたくもない受験勉強を高額の教育費を支払って行っているのです。

 

しかし、よく考えるとおかしいですよね。

 

本来、地位は「上げるもの」ではなく、「自然と上がっていくもの」です。

 

これが、「受験勉強」というシステムでは見分けることができません。

 

結果的に、「自然と上がる人」「上げようとして上がる人」が生まれるのです。これは事実として、という話です。

 

これは仕事の場面でも同じことがいえます。

 

なんとか上司に媚びたり、他人の業績を奪い取って実績をあげたりすることは、結果的に地位を上げることになります。これは間違いありません。

 

これを、ここでは「人間関係的な地位向上」と呼ぶことにします。

 

実際の利益的には圧倒的にプラスといえますが、果たしてどうなのでしょうか。

 

若干感情的議論になりそうではありますが、実際に「他人の利益を奪うことなく、純粋に実績をあげた人間」が一定数いることによって、そのおこぼれが生まれます。

 

それが回ってくるのが「人間関係的な地位向上」です。

 

これはおそらく("おそらく"というのは私自身が特別な業績をあげていないからなのえですが)、純粋に地位向上をなしえた人からすると「残念な人」に映ることでしょう。

 

否、その存在に興味を持つことすらないかもしれません。

 

 

もし、ある一人の人間に何かしらの天才的才能があるのだとしたら、時間がかかったとしてもそれは開花します。

 

これを、無理矢理の「人間関係的な地位向上」によって奪われることはありません。

 

また、「才能がない」ことは「悪」ではなく、「事実そのもの」です。

 

よって、自分自身が「○○の才能がある」と信じ、努力して、その才能が開花すればそういう人生だったのであるし、その才能が地に墜ちてしまったのなら、それはそれで、事実がわかっただけなのです。

 

これに我慢ができない人間は、「人間関係的な地位向上」を目指します。もちろん、人間である前に動物である私たちは、才能の有無にかかわらず、「才能があった場合、その利益を得て喜ぶ感性」を持ってしまっているので、「人間関係的な地位向上」に固執するのです。