心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

「教師が死ぬ」学校

はっきり言って、教師はいつの時代も人気職業です。

 

これは、現代の日本はもとより、海外でも、そして時代に関係なく、普遍的な事実としてとらえてよいでしょう。

 

公立の学校の場合も、倍率は決して低くありません。

 

専門的な知識を問うことが先決だからです。

 

ここで、「教師が死ぬ」学校について一考します。

 

「教師になりたい」と思う人が多いのは、「最も身近に感じることができていた職業」だからです。

 

議員の息子が議員になるのは、身近だったからです。

 

そして、猛勉強かつたくさんの単位を大学で取得して、憧れの学校に勤めることになり、

 

初日に、教師は死ぬのです。

 

なぜなら、今まで「教師志望」の人間が見てきたものは、「教師の良い部分」だったからです。

 

「教師死亡」という事態は、理想と現実の差によってそのインパクトが変わってきます。

 

というわけで、そのインパクトを分けるのが「学校間の差」になるのです。

 

かなり具体的に書きます。

 

「理想」とは、「生徒と関わることができる時間の量」です。

 

まさに、「教師志望」の人間が思い描いていた時間です。

 

この時間が長すぎて死ぬことはありえません。

 

他方、「現実」とは、「生徒と関わっていない時間の量」です。

 

「生徒と関わる時間」から「生徒と関わっていない時間」を差し引いてマイナスになった場合、その教師は死ぬのです。

 

この点で見てみると、非常勤講師は死にません。

 

言い換えると、「初心を忘れることなく、健康的に教師の仕事を全うできる」ということです。

 

なぜなら、非常勤講師は授業以外の時間に雑務やモンスターペアレントのクレーム対応などをしなくて済むからです。

 

さて、学校によって死んでしまった教師は、いつしか目的を見失います。

 

教師なのに「男」「女」だと見られ、卒業後に訪問してきた生徒と連絡先を交換することを楽しみにしたり、合宿先でいかに生徒と近づけるかを考えたりするようになる。

 

学校のカネで私的なものをどうやって買うかだけに興味を持つ。

 

そうです。次世代の「教師志望」が「死亡」する原因は、ついさっき死んだ先輩たちになるのです。

 

どこかで食い止めよ。