先祖を思う
ミニマルな考え方を身につけることは、決して「全てを捨てること」ではありません。
正確に言うと、「全てを捨てることが目的化した瞬間」、人間らしさを捨てることになります。
人間らしさは、圧倒的に、ミニマルより上位の概念です。
そして、私のように「モノではなく考え方をミニマルにしている」人間にとって、重要なのは「先祖を思う」ことにほかなりません。
考え方をミニマルにすることによって、一番大切なものを思い出すことができるのです。
「感謝」という言葉ではちょっぴり薄っぺらいのですが、概念としては近いものでしょう。
はっきり言って、言語化はできません。
なぜなら、「思う」という行為自体が、目に見えないからです。
そして、「先祖を思う」という行為は、煩雑な日常の中で最も忘れ去られがちなものになりつつあります。
このように考えると、昔から人々はお彼岸という期間を自分たちで置くことによって、先祖を思う・思い出す作業を定期的に行っていたのかもしれません。
「思う」という行為は、単なる電気信号だという科学者もいますし、それはそれで、正しいです。
正しいですが、寂しいです。
そして、「先祖を思うことによって会社経営がうまく回る」と功利的に考える人もいます。
やらないよりはマシ。これも寂しいですね。
最初は、まるで子どもが親に手を引かれて仕方なくついていくように、行為(お墓参りなど)と思いが一致していなくてもいいと思います。
心が豊かになっていることを確認すれば、自然と「先祖を思う」ことが習慣になっていくでしょう。