恋愛・真っ向勝負!
テクニックとは、何のために存在しているのでしょうか?
例えば、「恋愛テクニック本」。
買うのが恥ずかしい人は、とりあえずファッション雑誌を買って、後半に掲載されているモテ特集を血眼になって読みます。
私は、恋愛テクニック本でテクニックを学ぶこと自体、恥ずかしいことでは全くないと思います。
学校で教えられないのだから、独学する志は素晴らしいものです。
しかし、私がここで言いたいのは、「恋愛テクニック本を読んでまで恋愛したいんかい!」という幼稚なちゃちゃではありません。
テクニックで捕まえた相手は、テクニック的関係にしかなりません。
例えば、顔のどちら側を見せるのかとか、サラダを取り分けた方がいいのかとか、そんなことで変わる恋心などはありません。
もしそういった付け焼き刃のテクニックで恋愛関係が成就するとしたら、それは
[1]元々絶対的な好意があって、あともう一押しがあればOKだった
[2]誰でもいいからとりあえず付き合いたい
のどちらかだと思われます。
[1]の場合、テクニックは最後の一手です。仮にこれが成功したとしても、それはあくまで相性自体がよかったということになります。
しかし、「成功者は語る現象」になってしまい、成功体験を聞いた人たちは肝心の相性を忘れて「こうすれば誰とでも付き合える!」と勘違いしてしまいます。
[2]の場合、誰とでもいいから付き合いたいなんて考えている人が、テクニックを仕掛けられて「この人は今、誰でもいいんだな」と需要供給が一致したと判断してOKを出しているのです。
「誰でもいいから」というのは、決してネガティブな意味で言っているのではありません。
問題は、「恋愛テクニックに対して本気を錯覚するのは中学生くらいまで」だということに気づいているかどうかです。
簡単に手に入るものほど、簡単に手からするりと滑り落ちて行くような気がします。
逆に、この人だ!と思った「運命の人」に対しては、テクニックを使うことさえおこがましく感じるでしょう。
好きな相手に対してテクニックを使おうと思ったかどうか自体、「真っ向勝負度」の指標になっているのかもしれません。