心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

教育に経験が必要な理由

カーリングは、手の感触や瞬時の判断力がなければ勝利することはできません。

 

一方、勉強となると、ただただ頭で考え続けた人間が勝つように思い込みがちです。

 

なぜなら、「最終的に、運動神経を使って綺麗な文字を書かなくても、運動神経を使って空気椅子をしながら解答しなくても」、正しい記述、正しい記号をサッと書き続けるだけで満点を取ることができるからです。

 

トリプルアクセルを跳んでも、微妙なズレで減点されることはありますが、「フィギュアスケートでのジャンプを一つ答えよ」という問題に「トリプルアクセル」と書いて減点されることは一切ありません。

 

では、なぜ勉強・教育には「経験」が必要なのでしょうか?

 

それについて説明するために、例題を出してみましょう。

 

「4%の食塩水が80gある。これに7%の濃度の食塩水を加えて、6%の食塩水を作りたい。では、ここで7%の食塩水を何g加えればよいか?」

 

はじめに答えを見ていきましょう。

 

加える7%の食塩水の量をxgとすると、食塩の量に着目して、

 

0.04×80+0.07x = 0.06(80+x)

 

この方程式を解いて、160gが正解となります。

 

さて、ここで「経験がない」人間は、「濃度」という言葉を、意味もわからず使うことになります。

 

「どれくらい濃いか」という意味を知らなくても、方程式を与えられてしまえば、本質を理解せずとも入試を突破できてしまうのです。

 

この「経験のない人間」が仮にいたとして、計算を少し間違ってしまい、答えが1600gになったとしましょう。

 

「経験のない人間」は、どのようなときに、1600gという答えが間違っていることに気づくのでしょうか?

 

それは、「方程式のどこかで計算ミスをしていた」ことに気づいた時です。

 

ここに、経験は一切介在していません。

 

さて、お待たせいたしました。

 

「経験のある人間」は、1600gという数字を見て、過去の経験からいろいろなことを思います。

 

「7%の食塩水入れすぎたら、6%よりも、しょっぱくなるんじゃね?」

 

「っていうか、そもそも入れすぎじゃね?」

 

「経験のない人間」にとって、160gも1600gも、数字でしかありません。

 

実感がないのです。

 

それはまるで、1ミクロンと2ミクロンの違いを説明できない「日常の経験はある人間」と同じです。

 

経験が役に立つのは、意外と「抽象的な問題について考える時」なのです。