心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

表現が当たり前でなかったことを知る

歴史を勉強しながら「つまらないなぁ」と感じている生徒(オトナもですが)にない視点は、ズバリ「今に対する傲慢」です。

 

日本は水資源に恵まれているため、それこそ「湯水」のように水を使っていますが、中東などでは水不足が深刻なので、大切に使わなければなりません。

 

なぜ香水をつけるのか。それは単におしゃれではないということです。

 

そして、現在はツイッターなどで自分の意見を自由に発信することができます。

 

「未成年だから」「児童・生徒だから」というような制限はありません。

 

しかし、100年ほど前は、「自分の意見を言うこと」自体が禁じられていました。

 

例えば、1875年には言論弾圧法規である「讒謗律」、政府を攻撃する新聞・雑誌の弾圧が目的の「新聞紙条例」が出ました。

 

自由民権派が盛り上がると、1880年4月には「集会条例」が敷かれ、国会開設を食い止めようとしました。

 

このように歴史を鑑みると、いかに「自由に喋る」という行為が貴重なことなのかがわかります。

 

水やトイレットペーパーは、目に見えるものなので、「無駄遣いすると減る」ことを目の当たりにすることができます。

 

誰だって、目の前で流しっぱなしになっている水道を見ると、止めたくなるものでしょう。

 

しかし、空気や、自由に話すという行為は、「目に見えない」ものであるため、無駄遣いしてもなかなか気づきません。

 

今当たり前のように吸えている空気が汚染されて吸えなくなってはじめて、「空気のありがたさ」に気づきます。

 

100年ほど前の「表現の自由を弾圧する法律」が、仮に2019年に再び発行されてはじめてそのありがたさに気づくのでは遅いということです。