「本当に好き」の見分け方
恋や愛は、古代ギリシアの時代から誰もが興味をもつ分野でした。
どんなに科学が進展したとしても、居酒屋でサラリーマンが「地球の自転と公転ってさぁ・・・」と地学の話をしたり、ファミレスで高校生が「言語ってなんでこんなにたくさんあるんだろうね?」と言語学や言葉の歴史について話すという光景は一向に見られません。
しかし、
「課長と鈴木さん、不倫しているらしいよ」
「2組の佐藤くんと5組の希ちゃん、先週付き合ったらしいよ」
のように、話題の中心になるのは基本的には色恋沙汰です。
こんなに科学が発展しているというのに、人々は恋愛をもっぱら「ストーリー」として捉え、科学のカテゴリーの中に入れるのをひどく嫌います。
では、そんな「ストーリー」的な側面から、「本当に好き」を見分けていきましょう。
まず、「好き」と「本当に好き」の違いは、「拒まれたら引くか引かないか」にあります。
単なる好きは、一度拒まれても、その瞬間に壊れてしまうというわけではありません。
なぜなら、そんなに好きじゃないからこそ、拒絶されることに対するダメージが少ないからです。
他方で、「本当に好き」の場合、相手の多少の拒絶だけでも「嫌われたかもしれない」とドギマギします。
その人のことで脳みそケースのうちの9割が取られてしまったら、もうそれは完全に「本当に好き」です。
しかし、私たちは大人になるにつれて「本当に好きであればあるほどそれを隠し通そうとする」というヘンな癖を習得してしまいました。
おそらく、幼稚園や小学校で「集団行動をするには自分勝手な言動は控えなきゃいけないな」と本来の趣旨を捻じ曲げて理解してしまったからです。
ただ、人間は人間である前に「性に突き動かされる哺乳類」であることを忘れてはなりません。
すなわち、どんなに言葉を出さなくても、態度に出さなくても、ちょっとした隙に好きが出てきてしまうのです。
これは、ミニマルな人間関係を目指している人にとって顕著に現れます。
付き合う(←恋愛という意味ではない)人数を減らして孤独の時間が増えれば増えるほど、本命の人しか見えなくなってくるのは当然のことです。
よって、「本当に好き」の場合は「疲れた時に相手を目で追ってしまうかどうか」で判別できます。
元気な時や、気分が良い時は、相手を目で追わない余裕が生まれます。
しかし、疲弊しきっているときには、「今、こっちを見て。助けて。」と本能が相手を見つめてしまうのです。