心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

不完全を受け入れる力

「ミニマルな教育」を目指していく上で重要なことの一つに、「この世は不条理である」ことに気づくという力があります。

 

『シーシュポスの神話』などで有名なアルベール・カミュは、「不条理」という言葉で人生を表しています。

 

辞書的な意味でいえば、「不条理」とは「道理に合わないこと」や「筋道が通らないこと」を指します。

 

さっそく、「これまで勉強してきたことが総崩れ」のような印象を持たせる言葉です。

 

1+1=2だと、私たちは盲目的に信じています。

 

なぜなら、1+1=2を前提に、高等数学を理解するからです。

 

この1+1=2という全体が崩壊することが、「道理に合わない」のです。

 

ここでは一旦、数学的理論は全て正しいものとしましょう。

 

しかしながら、私たちの人生は「不条理」にあふれています。

 

なぜ、このような「不条理」をもたらすような環境に、私たちが生きているのか。

 

それは、環境そのものに原因があるというよりも、私たちが「不完全」だという個人ない要因を鑑みた方がよいでしょう。

 

私たちは、お腹が空けばイライラします。

 

ご飯を食べると、イライラはおさまります。

 

しかし、そのイライラは、空腹が訪れるたびに生まれます。

 

ここで、もし私たちが「完全体」なのであれば、真っ先にこう考えるでしょう。

 

「残りの人生において、二度とイライラが生じないようにするため、一生分食べよう」と。

 

これが、完全という概念です。

 

しかし、私たちができるイライラ対策は全て其の場凌ぎです。

 

イライラをおさえるために食べ過ぎたら、その食べ過ぎさえもが新たなイライラの原因になったりするのです。

 

食事場面でさえ不完全なのですから、これまで、そしてこれからの出来事に対して完全な対応ができる人間など断じていません。

 

重要なのは、「自分が完全な存在だとおごらないこと」、これに尽きます。

 

多くの過ちは、決して「不完全だから」起こるのではありません。

 

「不完全にも関わらず、完全だと思い込んでいる」ことから始まるのです。