心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

勉強とは結局、おつりである。

最近になってこそ現金払いが急速に減ってきてはいるが、未だに財布からお札を出して買い物をしている人は少なくない。

 

ガムしか買わないのに1万円札を出して、両替を試みる人だっている。

 

私がミニマル教育を論じている理由の一つに、「なんで皆、勉強がキライになっていくんだろう?」という素朴な疑問がある。

 

「キライなのだろう?」、ではない。

 

最初は皆、足し算や引き算、書き順を守った平仮名を書くことを楽しんだ。

 

その「楽しみ」とは、もちろんインプットの段階で感じることもあるのだが、アウトプットの中でより得ることができるだろう。

 

そう、「お金を稼ぐ」ことそのものよりも、そのお金を使って友達や家族を幸せにするようなものだ。

 

そこで、必要以上に支払った分が、「おつり」として返ってくる。

 

勉強をして、他者から認められるというのは、「予想できていた喜び」だ。

 

しかし、褒められることを目的に勉強していくうちに、いつか気づく。

 

あれ、勉強って、普通にオモロイやん。

 

これが、おつりとしての、勉強の喜びにほかならない。

 

産業革命について説明して、オトナたちから褒められた。

 

たしかに嬉しいことではあるが、よくよく考えたらその頃の技術なんて今では(今の日本では)当たり前のようにある。

 

なんだか、ワクワクしないか?

 

それは決して、これまでの無学な自分に対して「いかに勉強してこなかったか」を突きつけるわけではない。

 

これまでではなく、これからの自分をさらなる高みへと導いてくれそうな、そんな期待を与えてくれるのだ。

 

そのおつりは、ふたたび貯まっていく。

 

でも次は、単なるおつりではなくなっていく。

 

それがどんなものかって?知りたければ、目の前にある計算ドリルをやってみようか。