「先輩」がいる強さ
私たちは今、自分の目標を最短距離で(ミニマルに)達成するにはうってつけの時代に生きています。
これは、もはや「スマホ持ってるからいろんな人とつながれるよね〜」という表面的なものではありません。
一昔前でも、その気があれば飛行機で大物に会いに行ったり、国際電話で繋いでもらったりすることは可能だったからです。
ここで言いたいのは、目標を達成しやすい時代というのが「テクノロジーの進化」によるものだけではないということです。
たとえば、今あなたが「インドで起業したい」「インドにしかないビジネスチャンスを見つけてしまった」場合を考えます。
もし、それが江戸時代での出来事だったらどうでしょう。
ちなみに、これは思考実験なので、当時は植民地だったとか、そういう具体性を加えないこととします。
ここでのポイントは、「あなたが最初のインド起業家になりそうだったらどうしていたか?」です。
おそらく、足がすくんで「いや、一旦持ち帰ります。」というでしょう。
なぜなら、人間は自分がチャレンジする怖さよりも、「前例がないこと」を怖がるからです。
「自分は違います。人がやったことがないことをしたいんです。」というのはちょっと視点がズレています。
その場合の「人が」は、限りなく「自分が」になっているからです。
会社をいきなり辞めてラーメン屋をやりたいと思うのは、そういう前例を聞いたことがあるから。
言い換えれば、そのような前例がある程度蓄積されていなければ、「会社を辞める」という発想が「100℃の熱湯でシャワーを浴びる」と同じくらいぶっ飛んだ選択ないし決断に思えるということです。
よって、先述したことと類似した話になりますが、仮に先ほどの江戸時代のあなたの「先輩」が活発に海外進出していたという事実を見聞きしていれば(見聞きしていなければ、ないのと一緒です)、あなたは決断したでしょう。
時代の問題ではなく、「先輩」の存在が重要だということです。
この世界で、最初に未婚を選択した人。
この世界で、最初に「会社を辞めた」人。
その人たちの決断の裏にあったであろう苦悩に比べれば、あなたの決断は大したことないよね、という視点も、必要なのかもしれません。