話題を合わせる無意味さ
私たちは、ヘンに気を遣います。
ここでの「ヘンに」の「ヘン」は、なんだかカタカナがぴったりです。
私たちは、「本当は話したくもない人たち」と「本当は話したくもない話題」で会話をする習性を身につけてしまいました。
なぜこれが「ヘン」なのかといえば、そもそも自分たちがそのような会話をすることによって達成しようとする目標が達成できていないからです。
もしこれが、「何か目的があり、かつその目的を達成できている」のであれば、どんどんした方がよいということです。
例えば、本当は一緒にいるだけで吐き気がするような存在でも、その人間が社長で、その人と仲良くすることによって新しいビジネスができるのならば、「ウソみたいな会話」をしてもよいでしょう。
さて、そのような目標がなぜ達成されないのか。
例えば、今はラグビーが流行っているようですが、私自身はラグビーに全く興味がありませんし、そもそもテレビを手放したのでラグビーに関する情報はほとんど入ってきません。
Youtubeをよく観ますが、意外とその辺の情報は「探さない限り」こちらにやってこないのです。
ここで、「私」と話しているAさんが、「気を遣って」ラグビーの話をしたとしましょう。
「ラグビーが最近注目されていますねー」
でも、私も、そして、Aさんも、ラグビーに興味がない。
だから、私に会話の進行を任せようとしたAさんは、私の素っ気ない反応が「ラグビーに興味がないのか」それとも「私(←Aさん)に興味がないのか」がわからないのです。
ここで結構不幸なのは、仮に私がラグビーに興味があったとしても、その話にAさんがついていけないわけですから、攻撃・防御の位置が逆転しただけで、私がAさんに対して嫌悪感を抱くだけなのです。
どうせ話すのならば、できる限り自分の語気が荒くなるような話題を選びましょう。
特にこれは、「話を振る時」にやらなければなりません。
自分、ではなく「一般の人たち」が好きそうなラーメン、タピオカ、ディズニーなどの話題を振る時には、必ずその「一般」に自分が含まれていなければならないのです。