心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

教師の「わき見運転」

「教員免許」とは何か。

 

「免許」を持った人間は、その素質にかかわらず、教壇に立つことができるという意味です。

 

大学で四年間勉強し、教育実習を無事に終える(生徒と連絡先交換してこじれたりせずに終了する)ことができれば、誰でも教員免許をとることができます。

 

この制度、期間は違えど、普通自動車免許に似ていませんか?

 

一定の期間机上で勉強し、路上に出て、試験に受かれば、(教官と連絡先交換したとしても)免許を取得することができます。

 

はっきり言って、教師は「なったらこっちのもの」という職業です。

 

なるまでは、バイトも減らして遊ぶのも我慢してひたすら努力します。

 

「慣れない」朝にも負けず、実習を必死にやります。

 

勉強も大変ですし、授業の練習も必要です。

 

つまり学校とは、「釣った魚」のようなものです。

 

餌をやるもやらないも、その人の覚悟や選択に依存します。

 

授業中も、副業や転職のことを考えながらすることができます。

 

(「できます」というのは、「そうすべき」ということではありません。)

 

人間の脳みそは、記憶を遡ろうとすると芋づる式に思い出せる仕組みになっています。

 

よって、板書を見ながらしゃべり続けることは、意思とは裏腹に可能です。

 

これが、「わき見運転」です。

 

実際の運転現場でわき見運転をすると、加害者として、事故を起こすことになります。

 

では、教室で、教員免許をもった人間が「わき見運転」をするとどうなるか。

 

ちょっと板書の意味がわからなくて、疑問を浮かべている表情に気づくことができなくなります。

 

これが事故です。

 

生徒は、「報復」します。

 

もう、当該教員の話を聞くことはありません。

 

精神的な、事故を招きます。

 

この「わき見運転」の被害者は、生徒です。

 

加害者は、車をぶつけたことに気づいていません。

 

生徒が発信しない限り、泣き寝入りになってしまうのが「わき見運転」なのです。