ふてぶてしさも時には必要。
社会人として生きていく以上、「愛想をよくしよう」という言葉は一種の黄金ルールのようになっています。
もちろん、悪い態度を露骨に出すのはよくありませんし、ある程度「空気を読む」ことだって、現代の日本にはある程度必要です。
愛想こそがプレゼントであり、愛想こそが相手から利益を取るきっかけになるということです。
なぜ、社会人として愛想が必要だと言われるようになったかといえば、「社会」という言葉そのものが、定義上愛想なしには成り立たないようなニュアンスを醸し出しているから。
社会とは、生まれも育ちもバラバラな人間たちが一堂に会してい場であり、どうせなら笑顔の方がいいよねということです。
しかし、ここはミニマルについて論じる記事ですので、異なった見解を提示します。
私たちがついつい陥りがちなのが、
「八方美人」です。
「誰にでも愛想よく振舞っている人」のことですね。
ちなみに、元々の意味は「どこから見ても欠点が見当たらない人」ですが、そこから転じて、「欠点が見当たらないかのように振舞っている人」という意味で現在は使われています。
私がここで述べたい「ふてぶてしさ」というのは、「大切な人に対して」ではありません。
主語の話であり、目的語を選ぶ言葉です。
「ふてぶてしい」は、漢字で「太々しい」と書きます。図太いということです。
ふてぶてしさは、不特定多数のどうでもいい人たちに対しては、必要な態度になり得る。
という考え方が必要なのです。
あなたが社会人一年目だった時、誰に対しても平等に優しく接することに神経をすり減らしていたのではないでしょうか。
しかし、どこかのターニングポイントで「あれ、コイツ、何回挨拶しても無視するな」などといったことがだんだんわかってきた。
あなたがふてぶてしくなったのは、必ずしもあなたのせいではないのです。
最後に、ふてぶてしくなければならないこともある本当の理由を述べます。
誰にでも愛想よく振りまいて疲弊すると、本来「自動的に愛想よくできるはずの」大切な人に、そっけない対応をしてしまう可能性があります。
無自覚のうちに大切さの優先順位を間違うと、大好きな人がゆっくりかつ途端に離れてしまうかもしれないのです。