心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

「ため息をつくエアコン」

突然ですが、私の実家のエアコンは、たまに「ため息をつく」ことがあります。

 

しばらく運転しているのですが、ふと「呼吸」を止めて、・・・

 

ぷはぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

と息を吐くのです。

 

もしこれが人間だったらと考えると、「昼夜ずーっと働かされているよ。はぁー」といったところでしょうか。

 

冷蔵庫も、一時間に一回のペースで「ぶーーーーーん」と不満を漏らしているように聞こえます。

 

しかし、これらは全て、錯覚です。

 

私たちが人間であるが故に、「電化製品を擬人化」してしまうのです。

 

エアコンがぷはぁ!と叫んだのを冷蔵庫が「聞いて」、「君も大変だね」とぶーーーーんと応えているわけではないのです。

 

フランスの哲学者・文学者サルトルは、モノというのは「本質が実存に先立つ」と述べています。

 

エアコンの本質は「部屋の空気の温度を管理する」ことであり、これ以上でもこれ以下でもありません。

 

冷蔵庫の本質は「ものを冷やしたり凍らせたりすること」であり、これまた、これ以上でもこれ以下でもありません。

 

では、人間の本質は何か?社会を形成すること?子ども(子孫)を育てること?違います。

 

サルトルは、人間は「実存が本質に先立つ」と言っています。つまり、私たちが何であるべきか、何をすべきかに対して、「いま、ここにいる」という実存が先にあるということです。言い換えれば、「何であるべきか、何をすべきか」を決めるのは自分次第だというのです。

 

だからこそ、私たち人間は、エアコンが「不満を漏らしている」のを見て、「かわいそうに。エアコンなんて本質を押しつけられてしまって・・・」と同情し、冷蔵庫が24時間モノを冷やし続けているのを見て「オレだったら暇すぎて冷やすのサボっちゃうよ。エラいなぁ。」と感服するのです。

 

SMAPの「世界に一つだけの花」の中では、花屋の店先に並んだ花が争っていないことを一通り説明した後で「それなのに僕ら人間は・・・」と比較対象にするのと論理的に一緒です(ちなみに私はキムタク派)。

 

ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良で呼ばれたとしても、彼・彼女がそのまま不良であり続けることはありません。もう少し正確に言うと、不良になるかどうかは彼らが選択したことになります。触るものみな傷つけることを決めたのです。

 

じゃあさ、あなたに聞くけどさ、あなたは、なりたい自分になっていますか?


だって、サルトルに言わせれば「今のあなた」に対して今のあなたが不満を持っているのだとしたら、厳しい言い方になるけれどそれは報いだから。

 

はっきり言って、仮にエアコンが不満を漏らすために「ぶはぁぁぁ!」と叫んでいるのだとしたら、それは正当なことだよね。

 

だって、エアコンがエアコンになろうと思ったわけではないから。愚痴を言って当たり前。いくら不満を言ってもおつりがくるくらいだ。擬人化して更にリスペクトするならば、エアコンは実際不満を持っていない。だから、エアコンは仏並みに器が広いことになる。

 

「それなのに僕ら人間」は、なりたい自分になるという「実存」が先に来ていたはずなのに、自ら不幸自慢をする存在になるケースが少なくない。自分自身の手で決めた「本質」なのに、それをあたかも他の誰かが勝手に決めたんだとわめき出す。

 

「でも、世界には貧しい子どもがいて・・・」なんて論理のすり替えは許さないよ(by 擬人化されたエアコン)。

 

「ほかでもない自分自身、これから先、どうやって生きていくの?」今日もエアコンが温度調節を真面目にやりながら、あなたのことを上から眺めている・・・。