心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

親子は「理屈」じゃないんだ。

先日、書店で本を探していたところ、お父さんと女の子(5歳くらいでしょうか)が私の前を歩いていました。

 

すると、女の子が突然お父さんの方に向かって振り向き、ぎゅっと抱きつきました。小さな両手はお父さんの腰までまわらず、「ぜったいとれないUFOキャッチャー」のようでした。

 

それだけでも充分微笑ましいのですが、女の子はお父さんに

 

「パスワード」

 

と言いました。

 

お父さん側は、じっと見上げてくる娘に対して、適切なトーンで「じゃあ、1・2・3・4。」と優しく言っていました。

 

実はもうその頃には、私はその親子の横を通り過ぎていました。ですから、女の子が父親の「入力した」パスワードを承認して、ロック解除したかどうかはわかりません。

 

「1234」なんて、パスワード認証の際に「簡単すぎるので推奨しません」と言われかねないくらいに簡単な数字です。

 

しかし、おそらく彼女はそれに、その答えに満足したのではないかと思っています。

 

普通、親にかまってもらえない子どもが甘える際には、自分という存在を一度「親の前から消す」ことによって、その存在を探してもらうことが多いように思います。

 

例えば、「泣く」「怒る」「(物理的に)スーパーマーケットのビスケットのコーナーに走り去る」のように、普段の自分じゃない自分を演出してみせて、本来の自分を「親によって取り戻させる」のです。

 

自分じゃない自分というものを、他者から埋め合わせてもらう行為には、どこか物足りなさのようなものを感じてしまいます。

 

他方、「パスワードを言わせる」という行為は、決して「自分を消して」はいません。

 

なぜなら、そのパスワードを記憶しているのが両者であるからこそ、解除という行為が成立するからです。

 

父親だけがわかっていたら、娘が「解除側」に立つことはできないし、娘だけがわかっていたら、そもそも父親に(知っているのに)尋ねることはないでしょう。自転車を盗難するときに適当にダイヤルをいじるようなことを、彼女がしようとしたとは考えにくいです。

 

つまり、この親子はお互いが知っているという安心によって成立しており、「何を知っているか」が問題ではないということです。パスワードがたとえ誕生日のような「キケン」なものであっても、考え抜かれた30桁の数字の羅列であっても、そんなことはどうでもよく、親子の間で「知っている」というこの共有そのものが大事だということです。 

 

「ぜったいとれないUFOキャッチャー」は、「パパ捕まえた」と言ってもよいところを、あえて「パスワード解除指令」にすることによって、親子の信頼関係を再確認しようとしていたのかもしれない。お互いの関係の色を決めるのは、その内容の崇高さもなければ、他者からの評価でもない。

 

彼らの中に、彼らだけが知っている世界が、きっとあるのでしょう。そしてそれを知り得ることもない「私(あなた)」は、それを知る必要もなく、あったとしてもそれを放棄して、別のパスワードを、誰かと共有すればよいのです。