心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

「ええかっこしい」インフレーション

今回の「ええかっこしい」インフレーションは、私が人間関係的ミニマリストを目指す理由の一つになります。

 

簡潔に言えばニヒリズム虚無主義)になってしまうのですが、それだとつまらないので丁寧に説明していきます。

 

私たちは時々、自らが内向的であることや、人間が苦手であることを「悪いこと」だと思い、何かアクションを起こそうとします。

 

一日中雨が降っているからといってそれが外出しない理由にはならないから、とりあえず傘を差して出かけようとするのと同じです。

 

アクションを起こすこと自体は悪いことではありませんが(むしろ良い)、これが「別人格」を作り出すことがあります。

 

それが「ええかっこしい」です。

 

本当はそんなに真面目ではないし、そんなにできた人間ではないのに、「それだと認められない」という自分自身への不承認から「みんなに認められるような自分像」を作り出すのです。

 

この「ええかっこしい」は、基本的に元々「できた人間」である人々の好感を得ることができます。

 

実際、あなたも見かけたことがあると思います。人間には2種類いて、「できた人間」と「できていない人間」には雲泥の差があります。

 

卑近な例で言えば、「常に道端に落ちているゴミを拾える人」と「好きな人と一緒に歩いているときにだけあえてゴミを拾う人」に分かれます。

 

そんなことするくらいなら、「たとえ誰と一緒にいるときでも、一貫してゴミを拾わない人間の方が生きていて楽だし、勘違いされないよ」ということです。

 

別にゴミを拾わなくても(ポイ捨てしているのであれば別ですが)、罪に問われることはありません。

 

「えー、あの人ってゴミを拾わない人間なんだー」って思われたくないから無理やり拾っているのかもしれませんが、そう思っているのはほかでもない自分自身なのです。

 

この「ええかっこしい」は、一時的に他者から賞賛されることが多いです。ゴミを拾わない人間より拾う人間の方が「よく見える」のは当然のことで、何もおかしいことはありません。

 

しかし、この「ええかっこしい」による賞賛を「気持ちいい」と思ってしまうと、様子がおかしくなります。

 

すなわち、

 

ええかっこしい

ええかっこしい」による賞賛

ええかっこしい」の再生産

次第にその人そのものが「良い人」というラベルを貼られる

ええかっこしい」せざるを得なくなる

どこかのタイミングでボロが出たときに、勝手に「裏切られた」と思われる

 

というインフレーションが起こり、バブルがはじけるのです。

 

全ては「ええかっこしい」でない時の自分自身を認めてあげなかったことから始まっています。

 

もちろん、良いことは、良いことであるがゆえに、やらないよりはやった方がいいでしょう。

 

しかし、他者から認められるためにやるのなら、「覚悟」が必要です。

 

その覚悟は、「これからもずっと、良いことを続けていく」覚悟であり、「しばらく継続した後にそうでない自分を出すと、期待を裏切られたように思われる可能性がある」という覚悟です。

 

はじめから「自分はある程度良い人間ではあるが、そんなにできた人間ではない」という余白を作っておかないと、気づかないうちに「別の自分」が一人歩きしてしまうかもしれないのです。