心理学論文や人間関係的考え方を紹介!

2017.8.16~2020.8.31連続投稿(1,112日)。以降は不定期更新です。

いかなる「キャラ」からも卒業せよ!

大学デビューという言葉があります。

 

高校生までは勉強と部活しかせず、服装も学校指定の制服だったため私服がダサい。

 

そんな中、何とかして自分ではない自分を演出し、「誰かから」「いろんな人から」「みんなから」認められるため「だけ」に頑張ることを指します。

 

私でない私です。

 

筆者はミニマリストですが、ミニマリストである前に人間です。1人の人間です。

 

よって、自分の命と部屋の綺麗さのどちらを取りますか?と尋ねられれば当然「とっ散らかった部屋でもいいので住ませてください」と懇願するでしょう。

 

優先順位とは、選択のことです。

 

これと同じく、たとえば何かしらのキャラを演じている人は、キャラがある前に必ず自己がいます。

 

この自己がキャラに飲み込まれることは、ありません。

 

もし自分自身というものが別の何かの中に吸収されることがあるのなら、どんなにラクでしょうか。

 

なぜなら、キャラとは思考停止のことをいうからです。

 

例えば「ぶっちゃけキャラ」というもの。思ったことは何でもはっきり言うことですね。

 

これは一見、「言いたいことを素直に言えているからストレスがないのでは?」なんて思われそうですが、先ほども述べたように自己がキャラに飲み込まれることはありません。

 

つまり、「常に素直なことばかり言う人間」はいないということです。どんな人間でも、時には率先して相手のことを気遣い、率先して場の空気を読んだ発言をすることがあるのです。

 

わかりやすい例で言えば、どんなキャラを持っている人でも、環境からの一定の圧力を受けます。お葬式では黙るし、国歌斉唱の時には帽子をとってお辞儀をします。

 

すなわち、自分は〇〇ですという風に言い切るのは、自分自身のアイデンティティを確立したような気になるので一見良さそうなことではありますが、その裏返しとして、そのアイデンティティへの固執を生み出すことになります。

 

しなくてよい宣言は、しないに越したことはありません。