死の天秤。
私たちは、本当は「これがやりたい」とわかっているのに、何かしらの言い訳を(それも複数)並べて自らの怠惰を正当化する。
ここでは死の哲学の話をしよう。
私たちの周りでは、常に生と死が繰り返し起こっている。
一日に何万という人が生まれ、何万という人が死を迎えている。
私たちの目の前で起こっていないだけで、これは圧倒的な事実である。
もし、あなたが6日後に死ぬとしたら?
考えたこともないかもしれないが、これは確率0%の話では決してない。
そして、このような思考実験をしたときに、天秤からぶっ飛ぶものがある。
説明が遅れたが、ここではあることと死が天秤にかかり始めている。
そう、「他人からの目線」だ。
私たちは、死んだことこそないが、死ぬ時は一人であることは何となく知っている。
最愛のパートナー、愛しい家族、愛らしいペットたち。どんなに愛し合っていても、順番は「どちらかが先」「どちらかが後」だ。
このように、死ぬ瞬間(そして多くの人の場合、時間的には瞬間ですらない)に孤独であることを想像することによって、「今からやろうとしていることに対して、他者からの視線を気にすることがいかにバカバカしいか」がわかってくるのだ。
SNSで低評価を付けられようが、集団からハブられようが、やりたいことをやる権利は必ず手元に残っている。
そして、経験的にも明らかだと思うが、大多数はあなたのことを応援してくれている(ネガティブな気分になっているときに最も見落としやすく、見落としてはならないポイントだ)。
どんな恥、罪悪感、周囲からの評価(の予想)も、天秤のもう片方に死を置いた瞬間に大気圏まで吹っ飛ぶ。
さらに、幸運なことに、おそらくあなたはもうしばらく生きることができる。
もう、やりたいことをやるしかないよね。